2012年9月12日水曜日

悔しさ大切

今日、こっちに来てから初めて仕事に悔しさを感じた。

別に個別事案であれば色々と失敗しているし、そのときだけ悔やんで終わりやけど、今日感じたのは仕事のやり方自体についてである。

2週間ほど前に上司が代わり、はじめは指摘されることに一理あるとは思いつつも

「まあまだこの国のやり方がわかってへんからこういってるんやろなあ」

と思っていた。

でも今日気付いた。実は今までやっていたことは単なる自己満足で楽しようとしていたことを。

確かに前までの上司の方針に合わせて仕事をやっていた。そして前からやっていた草の根的な広報文化活動に意義を感じていた。

ただ、行政がやるべきなのは「草の根」の活動ではない。

私が期待されているのは行政機関や波及効果の高い団体にコネクションをつくり、広報・文化活動を行う際にどれだけ拡散効果をもたらせるツールづくりができるか、また自分が直接行わずとも勝手に活動が持続するようなシステムづくりなのだ。

確かに草の根を対象とした活動はある一定必要だと思うし、なによりも楽しい。だって目の前の人が大抵喜んでくれるんだから。

そらそうである。だってタダ同然あるいは日本国民の税金を使ってもてなされたり、公邸に呼ばれたりして誰が喜ばないだろうか。

そして楽なのである。だって調整するべき関係者は事務所内の人と日本に始めっから興味を持っている人なんだから。

それよりも政府関係者や公益団体に自分から働きかけ、関係をつくること、一緒に仕事をすることが何千、何百倍も難しく、そんなことはこの国の事情では無理やとはじめっから決めつけていた。

そんなことに気付かずに仕事をやったつもりになっていたなんて本当にアホやった。

また、上司や予算のせいにもしていた。この体制やったらここまでしかできないと。

でも考えてみたら前の上司のいる間にこの矛盾に気付き、上司が代わった段階ですぐに動き出せるようにしとくべきやった。

いまは自分が気付いた事実に他の同僚が気付かずに「前例」や「楽しさ」「楽さ」にしがみついてる姿に腹が立ち、その腹立つ自分自身に嫌悪感を感じている。

自分はまだまだ半人前やと思い知らされた。


物事の流れについて「守破離」という言葉は日本の伝統文化の中で使われる。

まず守ることから始まり、守れたら次は破り、最後は離れていくと言われる。

いま半年間前例を「守」ってきたので、少し早いが「破」る段階に入ったのだと思う。

それにしても悔やしいがこの悔しさを活かして成長できるやろか。

なんか相に合わずええこと書いてしまった。

反省・・・