2009年12月27日日曜日

行ってきました

ホムスです。

ホンモスではありません。ホムスです。

まあ簡単にいやあシリア第三の街ですね。

AUBにかよっている友達がクリスマス休暇のために里帰りしてるから誘われていってきました。


あんまり書きたくないけど、この体験はなにかにかいとくべきだと思ったので書きましょう。

朝の8時にダマスを出発し、10時ちょいにホムスに到着

なかなか迎えがこない。

アメリカ人の友達とシリア人の友達がどんな車で我々を迎えにあがるのか予想する。

僕は運転手つきのリムジン(リーンカーン)にのってくると予想

でも以外に旧型のベンツで迎えに来た。ちょっと期待がはずれた。

彼「いやあ、本当はバス停のなかまでは入れないんだけどはいっちった。」

心のなかで「知ってるのになんで入ったねん」とつっこみ

まあでも愚問になりそうだったので質問は控えた。なにせ彼、巨大なワスタ(コネのことね)を持ってらっしゃいますから

そして旧市街のスークに着く頃に事実が判明

「実はさ、この車、ハーフィズ・アサドから家にプレゼントされた車なんだ」

はい??????? ハーフィズ・アサドとおっしゃいますと先の大統領様ですかえ???

彼の説明によるとみんな彼のナンバープレートから大統領関係の車だとわかるらしい・・・

すごいね~

まさにアストニッシュドだよ。

そして、ホムス観光

特に見所があるわけではない。

街だね。

でもスークは観光地化してしまってるダマスとは違い、地元の人であふれていたので楽しかった。

お昼前のスナックにと彼の行きつけのファラーフィル屋に行く。

ファラーフィルは1時からだと言われ、時間をつぶすために彼が高校時代にたまってたインターネットカフェに行く

そこで今年のM-1みました。

パンクブーブー、おもしろいか?

すまん、俺の笑いのセンスがすたれてるだけかもしれんが全然笑えなかった。

でも1ついっとくと笑い飯の「鳥人」確かにおもしろい・・・

実は私、大のアンチ笑い飯です。

あんな漫才のスタイル、認めません。

前までのネタも小学生の会話みたいでおもしろいと思ったことがありません。

でも確かに鳥人はよかった。

間の取り方、つこっみの長さ、そしていままでなかった細かさがあった。

でも一つ疑問が

8年連続出場ってことは初めて出場したときは結成3年目だったってこと!?

そりゃないでしょ。


まあいいや、話戻します。

ファラーフィルを食べ、彼いきつけの違法DVDショップに

1枚15sp(約30円)

やっす

キリスト教徒地域に行き、伝説では聖母マリアのブレスレットと言われるブレスレットを見る。

その後一行はファラーフィルのおかげでおなかがいっぱいなのにちょっとした高級レストランに

みんな正装したおなかがぼってりしたおっちゃんばっかりの中、ジーパンにパーカーを着た日本人が1人

場違いきわまりない。まあでもその服装でシリア最高級のフォーシーズンズホテルでディナー食べましたしね。マーレーシュ

さてさて、食べたあとカフェでぺちゃくちゃしゃべり、そしてお別れのとき・・・

実は3日後に彼がダマスに来ることが判明

なんだ、また会えるじゃんってことで軽いお別れ。


ちなみにここまで全て彼持ちです。

ごっつあんです。あんざーーーーーす。


彼、日本に来る気満々なので私の財力でそんなことができるかは不安ですが、やってもらったんだから仕方ないよね。

人間、持ちつ、持たれつですからね。

いい体験できたな。

あっ、新年はベイルートで迎える予定です。

「1年おつかれ!たすくちゃん」ってことでパッと散りたいと思います。

では、師走ムードが一切ないダマスからでした。

2009年12月24日木曜日

もうすぐ・・・

もうすぐこの長かった留学生活も終わる。

てことで


メリークリスマス

いやあ、クリスマスですね。まあなんにもそんな雰囲気はないんだけど

でも友達のアメリカ人どもが「クリスマスまであと( )日だよね~。」

と毎日いってきやがるので多少はそんな感じがしてきたでもない


この1年いろんなことがあった。

なんかありすぎて思い出せない。

楽しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、はやく脱出したいと思ったこと

そしていろんな経験や月1ペースでの海外旅行

てことで入国スタンプの数を今、数えます。

フランス1、シリア8、ヨルダン2、エジプト2、レバノン4、トルコ1

はは、たくさんお金使ったみたいですね。

でも一人旅はすごく考えることが多かったし、友達とまわった旅行もあほなことばっかりいって、あほなことをいっぱいやって楽しかった。

日本からの訪問者も当初はゼロだと思われていたのに多少は来てくれた。みなさんありがとう

またシリアにも家族ができた。

先日も訪問して、帰り際に

「じゃあまた来るね」ってシリアのユバー(ベドウィンは父親をこう呼びます)にいったら

「いつでも来なさい、ここはもうお前の家なんだから」だって


おとうーーーーーーーーーーさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!

いやあ、ありがたいね。人間ってあったかいね。

たすくはみんなに支えられて生きてます。


あ~、くせ、くさすぎるよ。

てことで違う話

レバノンでのコースがいまシリアに帰ってきてます。

やることがありません。

毎日オールドシティーをぶらぶらし、カウチに座り、何をするでもなくアザーンを定期的に聞いています。

俺はこういう生活を求めていたんだなあ~。

としみじみ思う。

でもこのままでは日本のスピードの速さに取り残されてしまう。

てことでそろそろ日本帰ります。

でも帰ったら当分、神隠しにあうので探さないでください。

でもみんなからの暖かいお帰りメッセージ+お帰りなさいパーティーのおさそいはいつでもウェルカムです。

最近、日本語をしゃべるとルー大柴みたいになってきました。

ネバー、マインドだよ。バレーハー

さて天気がいいのでお散歩にでもいきますかね。

see you guys

2009年12月5日土曜日

少し真面目に考えてみました

来週の最終テストのため勉強をしなきゃいけないのに卒論を何について書こうかな?っていまさらなやんでいます。

まあ10中8、9はレバノンについては決定ですけど・・・

さてさて、同級生が次々と進路を決めていく中、のんびり屋さんの僕は相変わらずです。

そして、今ひまなので世界のことについて考えてみました。

なんか世界って不公平ですよね。

日本にいたらあんまりわからないけど、お金の量が世界で決まった数である限り、お金持ちになろうと思ったら誰かからとらないといけないわけですよね。

今、日本を含め「先進国」と呼ばれている国は他国、特に貧困国からお金を搾取していい生活を享受してるんですよね。

別にそれ自体を批判するつもりは全然なくて、貧乏でも幸せならいいと思うんですよね

現にいろいろ旅をしていると日本人の感覚からは貧乏に思えるところでも、大人も子供もみんないい笑顔をするんですよね。

そしてこんなお金をちゃらつかせて旅をしてるような日本人にもお茶にさそってくれたり、できるかぎりのもてなしをしてくれようとするんです。

日本で誰かそんなことしてる人いる? 

あと彼らの主要な楽しみは人との会話なんですよね。でもそれってパソコンとかの暇つぶしのたぐいよりよっぽど楽しいと思うんですよね。

やっぱ人間、人と人がつながって生きているんだなあ~、て思い知らされるんですよね。

幸せっていうのはある意味、自分の状況に満足することなんじゃなかなって思う。

先進国の住民にはニンジンが目に前にぶら下がっててそれを追い続けさせられているところがある。

もしかしたら彼らにはニンジンがないのかもしれない「かわいそう」と思えるかもしれないけど必ずしもそうではない。

家族が幸せに暮らせるための最低限の収入があればいい

そういう風に考えられたら別にいいんじゃないかと思う


でも僕が言いたいのは先進国が搾取するがためにそこの何もかもを破壊する行為は許せない。

それを代表するのは戦争なんだと思う。

今、世界では大国の思惑なしでは戦争は行われていない。

弱小国の内戦にしても大国の利益が必ず絡んでいる。

でもいくら自国民の利益のためといっても人を殺してまでお金を手に入れていいの?

って思う。

僕のスタンスからすればお金で解決できるのならまだましだと思う。

それは僕がそこそこの少しアカデミックな家庭で生まれ育ち、十分な教育を受けさせてもらい、お金には不自由したことがないからかもしてない。

でも戦争で命が奪われたり、過剰な植民地的な搾取が行われるため餓死することは最悪のことであることは確かである。

昔は将来は日本に役立つ仕事をしてお金を人よりも得たいと思っていたけど

最近、そういった悲しい現実にすこしでも手をさしのべてあげられる人間になりたいと思っている。

だいぶ偽善的であるので述べておくと私は最高の利己主義者であることを自負している。全ては自分が気持ちよくなるためにしていて、自分に最高の利益が得られるために生きている。


でもそのことはこのことがらと相反しないと思う。なぜならそういった人を助けられることで自分の気持ちが満たされ、幸せを感じられるならそれが最高の利益になるからである。

今でもお金持ちになりたい。でもそういう現実に気づいた人が何かをしないといけないという気持ちがある。

そのためにはまず勉強しなければいけないし、もっと物事を知って考えなければいけない。

今、思い返してみれば受験勉強を真剣にはじめたある出来事がある。

誰も覚えていない、ささいなことだけど古文の授業中、先生が

「日本の受験システムは俺もおかしいと思う、でもなそれを変えたかったら今のルールに乗っ取ってかえるしかないんや。物事をおかしいと思って変えたかったら勉強しろ」

と言われたことを今でも覚えている。

そのとき「なるほど」と思っていたけど今でもその通りだと思う。

少し文脈は違うけどそれはどんなことにも精通することである。

私は少し人間関係が苦手で社会性にかける人間ではあるが人の役に立てる人間、具体的にいうなら世界の不公平をなくすために少しでも役に立てる人間。

そういう人間に私はなりたいと思う。

じゃあトルコのことでも・・・

書きますか、明日授業ないし、休みやし。

さてさてトルコ、いってまいりました。

よかったよ。

なんかほんとに「リフレッシュ」ってな感じで


さて、イードルアトハーのお休みのため金曜は授業がなく

サンクスギビングというアメリカ人たちのおいわいのためにターキーを食べて、アンミーヤの授業に出た後、すぐに旅立ちました。

目指すはシャウルッヘロウというアレッポ行きのバスが出ているバス停

時刻はすでに午後4時

まあ俺の旅のスタンスとしては基本的な移動手段は「歩く」ことなのでバス停まで荷物をかついで歩く

着いたのは5時

幸運にも5時半出発のアレッポ行きのバスが存在し、乗り込むとそこにはシリア人の出稼ぎ労働者と思われる、僕が今住んでる地域ではほとんど見かけないような雰囲気を醸しただしてる人たちで席がいっぱいだった。

席につくといきなり横の薄汚いシリア人がちょっかいを書けてくる。

めんどくさいので無視

まだちょっかいをかけてくるので

「俺はアラビア語話せるけどお前のような奴とはしゃべりたないねん」っていってやりましたが、その後も後ろから前から好奇の目が向けられることに・・・

まあそりゃそうやんな。外人さん1人しかローカル路線にのってたらそりゃあ好奇心旺盛なアラブ人の心に火がつくことはいなめないよね。

てなかんじ国境に到着、めちゃくちゃシリア人はならんでたけど日本人様である僕は外国人用窓口で優先的に処理してもらいちゃっちゃと終わる。

でもいつもはすんなり通れるはずのシリア側国境でビザを買う際、外人になれてないオフィサーが手こずりバスの人々をまたせるはめに

てなことでアレッポには2時半到着

宿を探し、泊まることにしたけどトルコ行きのバスを探すためにバス停に

すると「5時半に出発するよ」って言われ、とまることをやめ、急遽バスに乗り込む。

国境はすんなり通れてそのままアンタクヤという昔、5大総主教座の1つがおかれていたまちへ

時間がないのでそのまま目的地、ディアルバクル行きのバスにのりこむ

バスから見える景色はシリアとか中東諸国とはまったく違い、土地の豊かさや自然が全面にでてるかんじ

そして、ある休憩中にトルコ人の青年に話しかけられる

where are you from?

トルコで聞いた初めての英語

そしてしばらく話しているとチャイをおごってくれた。

バスにのりこむ、すると「俺の横にこいよ」的な英語かトルコ語かわからん言葉で誘われ、行くことに・・・

イスラム教のサイトをめちゃくちゃ進められたが、旅に必要なトルコ語を2、3個教えてもらい、彼とは1つ前の都市でお別れ

ベイルート出発から25時間後やっと目的地についた

そして、スーパーローカルなバスに乗り込み、英語もアラビア語も通じないので降りる場所もわからず目的地を連呼

そして、みんなやさしく身振り手振りで教えてくれる。

着いたら着いたで、ホテルの場所がわからず地図を見ていると見知らぬトルコ人がトルコ語で

「なに?こまってるの?」的なことをすれ違いざまに聞かれ、地図を見せると

「つれていってやるよ」的な雰囲気をだされ、また英語でwhere are you from?

まあ結果間違った道につれていかれたんだけどね。

そのあともあるトルコ人に場所を教えてもらい、無事到着

宿代は6ドルくらいでシングルなのにベット3つに部屋のど真ん中にストーブがおいてあり、薄汚いかんじ、でも宿のおじさんはアラビア語が話すことができ、しばらく談笑。あっ!あとそのとき今晩その宿で私が唯一の客であることが判明、はは

間もなく、ご飯を食べるため、街に繰り出す。

そう今回の旅の本当の目的は「くいだおれ」

朝からビスケットしか食べてなかった割にはケバブでおなかいっぱいになってしまったけど念願の羊の骨を煮込んだスープ、パチャをその後詰め込む。

そして朝がはやいので就寝

なんか人って暖かいよね。あと言葉がはなせるって大切なことだよね。

てなことで続きは気が向いたときに、チャオ

2009年12月4日金曜日

気づけば・・・

気づけば1ヶ月完全に放置してました。

ファンの方々、大変もうしわけない。自分でも驚いてたところです。はは

この1ヶ月いろいろありました。思わぬ訪問客がきたり、体調崩したり、勉強する気がなくなったり、トルコいったり。

でも今日は遅いので明日、明日インシャアッラーフ

まだ明日の授業の宿題すら終わってないや。

では