2009年7月28日火曜日

夏休み、中間報告

あ~あ、結局3日休んじゃったよ。

この3日なにやってたかって?

海賊版映画を見てました。

実は気づいたねんけど遊びのように思えて地味に勉強になる。

というのも英語で映画見るんですけどそのときアラビア語の字幕を流すんです。

すると普段使うけど学校で習わないような日常会話の表現が字幕に流れてるんで新聞とか読むのには絶対に役に立たないけど、

「今度、これしゃべるときに使ってやろう」

とか思えて結構楽しいです。

あとこの3日で「ビューティフルマインド」という映画を三回見ました。

やっぱ感動するよね。

初めて見たのはきっと中三のときに飛行機で見たときだと思う。

度々、その映画についての酷評は耳にしたけどやっぱ感動するわ。

特に最後の方でみんながペンを置いていくシーン

う~ん、感動した。

それと見てて思ったのは

俺って学問の分野じゃぜってー大成しない人間なんだな~。



まあまあ、皆さん一度みてくださいな。

さてさて、この休日、ボスラという街に一人旅してきました。

でも遺跡って感じで大して書くこともないのでボスラから帰ってからのダマスでの出来事を書くとしよう。

ボスラから帰ってインターネットカフェにいくとシリア人の友達がいたのです。

聞くところによると今から本屋街に行くというのでついていくことに

その道々、女性を階段で助けるシリア人などを見て

「シリア人、こういうところがいいよね~」

とか思ったりすると

階段を上った脇には

PLQY STATION

が・・・・

確実に確信犯ですよね?

そして、本を見てその帰り道の話

先にアラビア語の人たちに断っておきます。

すまん、内容かぶってる

気を取り直して、帰り道と

まあアラビア語でやんわり表現してもいいのですが僕の好みにあわないので直でいいます。

道ばたには乞食がいるわけですわな。

しかもよく見たらそいつらまるまると太ってるんですよね~。

って、おかしくね????

あとこっちの人が1日で得るお金って500円くらいなんだけど乞食の方がどうみても稼いでる・・・・・

あと前の話なんやけど、ムスタファーというムスリムのパキスタン系アメリカ人と一緒に学校に行ってるときに彼、ムスリムだから丁寧にザカート(喜捨)をしていくわけよ。

でも俺にとってはどう見てもそのおばあさん演技をしているんです。

だって手の震え方が不自然なんだもん。

そこで僕は言ったわけです。

「あのおばあさん演技してるとおもわないの?」

ム「思わないね」

僕「しかもこの歩道橋、あんな寝たきりの人が上ってこれる高さじゃないよ!」

ム「別にいいじゃない、だっておばあさん困ってるわけでしょ」

ううっ、その通りだ。確かにイスラムの教えに従えば困ってる人を助けるという精神が大切なわけだ。

もし、誰もおばあさんにザカートをしなければ、おばあさんはお金が稼げずに本当にのたれ死にするわけだ。

いってみれば乞食という職業だね。

でも汗水たらして働いてる人より稼ぐっていうのは不条理だよね・・・・

まあいいや、今度、天国に行くためにザカートでもしてやるか。

でも俺ムスリムじゃないけど・・・

2009年7月24日金曜日

あ~なつやすみ

さっき、道をあるいてたら子供が

「ヤバーニー」

といって猛スピードでとびかかってグーパンをしてきたので

思わず反射的に脇腹を指先で突いてしまいました。

その子供は元気に走っていったけど10秒後に僕が秘孔をついてしまったために

「ヒデブー」

といって爆発してないか心配でたまりません。

ということでおわりました。

てすと

アンド

僕のシリアでの学生生活

なんか今、定年退職を迎えたお父さんの気持ちになってます。

まあやりたいことはたくさんあるけどまとまらない・・・

2日休んで1週間使って1ヶ月なにやるか決めようかなあ

とか思っています。

ちなみに名目上、今回で中級レベルをコンプリートして次から上級レベルに突入することになっていたのですが、私の上昇するレベルが追いついてないと勝手に判断したのでここで夏休みをとることにしました。

でも考えてみれば学期間の間に10日ずつ休みがあったからすでに1ヶ月休んでることに・・・

やばいな。

みんな留学してすごいレベルになっていくのにおれってのんびりやさんだな~。

まあそんな自分が嫌いじゃない。

あ~、なんかテスト終わったら脳が機能停止してしまってなにも考えれない・・・

てことでまた今度ちゃんとしたこと書きます。

2009年7月21日火曜日

おれの、おれのバーディンジャンが・・・・

別に下ネタとかじゃないですからね!

私、実はいまの家結構気に入ってます。

テレビもある

ラジオもある

全自動洗濯機もある

冷蔵庫は四部屋しかないのに2台もある

これじゃあ東京に行くことにはならないです。(わかったかな?)

時々、上から砂は降ってくるけど場所は決まってるのでそこをよけて暮らせばなんとかなるし、俺の部屋、1階であんまり日もあたらんし結構涼しい。

しかも2週に1回くらい個人の部屋以外の場所を大家が掃除してくれるし。


でも僕の使ってるほうの冷蔵庫の冷凍室にはムシュキラ(問題)があるのです。

こっちの冷蔵庫は基本的に古い型だから冷蔵庫も冷凍庫も空間は同じ訳です。

冷凍室が冷蔵庫の上のほうに申し訳程度についてるかんじ

で、僕の使ってる冷凍庫、ほっとくとガンガン氷がはっていって、冷凍室が氷でいっぱいになるわけです。

そして、昨日、最近マイブームのバーディンジャンのオランダ煮(なすのオランダ煮ともいいます)をつくって古くなったパンを埃がかぶらないようにのっけといたわけです。

そして朝

自家製イチゴジャムを食べるために冷蔵庫をあけたら

なんとなすのオランダ煮にかぶせたパンがぬれてるではありませんか!

私のかわいいなすのオランダ煮ちゃんが被害を受けてないこと祈り、パンをぺらっとめっくって見ると・・・・

みずびたし

あ~、あつあつのご飯といっしょにバーディンジャンのオランダ煮をかき込むのを楽しみにしてたのにーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!

じがもごんがいはいづもいじょうにうまぐでぎだどおもっでだのにーーーーー(涙)

全てはこの冷凍庫のせいです。

まあカリカリしても仕方がないですね。

ホリエモンがヌード撮影したって別にいいんじゃないかねえ?

おっと話が違う方向に向いてしまった。

ついに壊れたか

とおもってましたが学校から帰ってきて電源を見てみたら抜けてました。

大家がきっと氷をとかすためにきっとぬいていったんでしょ

先にいってくれよ~。

ちなみにそんな冷蔵庫の中の氷になにが含まれているのかわからないのでなすは全てゴミ箱いきです。(グスン)

話はころっとかわりますが

あと二日で最終テストですか~

またこのときがやってきましたね。

1ヶ月に1回ペースでくるわけですけど

授業、はやくおわんね~かな~

って毎回おもうんだけど、クラスメイトと別れることはなんかさみしい。

今回はいままでで一番楽しかったクラスだなあ~って思う

しかも季節的にほかの国の学生は新学期が始まるために自分の国に帰ってしまうわけだ。

僕も来月はラマダーンになってしまうこともあり、そのほかの複合的な理由も併せて授業をとらずにこれでダマ大生活を終了することにしました。

ぼくたち、私たちはダマスカス大学を・・・

あっ、別に卒業するわけじゃなかったわ。

でも、わかれの言葉はまた終わってからにします。

あと2日でフリー

ダマスでぷー太郎になるわけだけどいったい何しようかな?

今回はビザの関係で国外逃亡もできないし、リゾートもない。

ちっ!勉強でもしてやるか。

2009年7月15日水曜日

今回、投票できません(涙)

自民党、都議選、へたこいた~!

いやはや、ニュースは詳しく知りませんがヤフーニュースを見ている限りでは、

鳩山、うまくやってるな

という感想です。なんか開きなおってすぐにあやまってるからそんな傷手になってないんじゃねーの?という憶測なんですがどうなんでしょうか?誰か世論を教えてください。

そんな将来、池田市長ぐらいならなれるんじゃないか?と思っている社会派な私は最近自分で気づいたことがあります。

私、本当の意味での草食男子です。(全く関係ないやん!!)

いや、なんか「男子」って響きがいやだし、僕は男子という感じではないと思うので訂正します。

私、リアルな草食漢(「おとこ」と読んでね!)になってしまったようです。

とはいっても、ちまたではやってる草食男子とは違い、本当に肉を食べない方の草食(類義語はベジタリアン)になってしまったようなのです。



日本では剣道という戦闘的なものをやっていたために知らず知らずの間に戦闘民族になっていた僕

1食のなかに肉がなかったら

「オラー(コラーの上)、肉はねえのか?肉は?アアン?」

という山賊的なぶちぎれかたをしそうになったもんです。

しかし、こっちに来て、毎日、寝て、起きて、ボーとして、アラビア語のことを考える生活だけをしていたら、戦闘的な感覚が薄れてしまったみたいです。

戦闘的になるのはシーア派モスクの前で黒いコロッコロッのデブどもを押しのけて進むときくらいです。

感覚がなくなっていくのと同時に肉を自然と食べなくなりました。(本当の理由は肉が高いからだけど・・・ でもその割には痩せてないのはどうして?)

いや~、不思議ですね~。

そういえば、ガンジーもルソーもみんなベジタリアンだった模様です。

非暴力ばんざ~い!!!

いやいや、こんな話ではなかったはず・・・・・

イダーファ イラー なんですけど(加えてって意味ね)米も週1でしか食べなくなりました。

だって、焼きたてのホッブスうまいですから

まあ本当は米洗うのがめんどくせえといったところなんですが、

日本にいたときは日本食をこよなく愛していた僕

俺、米ないと生きていけねえなあ~

とか思っていたけど大きく期待を裏切る結果になってしまったようです。

味噌汁も別に飲みたくなったりしないしね

俺って以外と環境適用能力たかいいいんんじゃね???

よし、就活のためにこのことをメモっておこう。

そういえばみんなの就活の結果はどうなったのでしょうか・・・
成功してたらメールください。お祝いにもれなくシリアの写真をプレゼンとしちゃいます!



最近、ちょっとブログの個人流用が目立ちますが多めにみてくださいな。

なんか他の留学している人はなんかみんな真面目にやってるけどこんなんで申し訳ねえ

でも、でも、でも、でもそんなの関係ねえ!はい!オッパッー、ピー

てことでみんなではやらしましょう

草・食・漢 (え~、そんなはなし・・・ パート2)

あ!あと裏技つかって自分のブログ見れるようになりました。(パチパチパチ、マブルーク)

ってことでコメントを書けばマツムラ君に伝わります。(返事はできないかもだけど・・・)

読んだら是非コメント書いてください。

お願いします。寂しがり屋のタスクちゃんに愛の手を・・・・(24時間テレビか!)

2009年7月11日土曜日

7月病

無気力、脱力感

これは完全に7月病にかかってしまったようだ。

どうも僕です。

芸能人なみに更新がんばっちゃってます。

読んでいただいてるかたありがとうございます。これからもごひいきに

さてさて、中間テストが終わり、でも宿題がいっぱいある

だけど無気力

どうすればいいのでしょうか?

おしーえて、おじいさん~。おしーえて、おじいさん~。(あっ、アルプスの少女ハイジから借用しました。)

てことで「私は真面目人間ですよ」アピール+気力復活をさせるために自分をみつめなおしてみたいとおもいます。

今回真面目なんでここで先にいっときます。

さてさて、昔の自分というものを考えただけで恥ずかしくなってしまいます。

一言で自分の各時代を表現すると

幼稚園時代:人生のモテ期終了、ここまでで3回使い果たす

低学年時代:体、初期拡張期

高学年時代:本能のままに行動する。理性の欠けた時代

中学、高校時代:男子校暗黒時代

そして今の大学時代に入るわけなのですが

思い返して一番はずかしいのはやっぱ大学の1、2年ときですね。

恥ずかしすぎるのであえて書きません。

でも自分でも恥ずかしいことをしていた僕はみんなに知らず知らずのうちに支えられて生きてきたんだなあ

としみじみ感傷にひたってしまいます。

皆様、ありがとうございます。

これからも僕をよろしくお願いします。

といってる僕も後1ヶ月ちょいで22に・・・・

歳とりたくない・・・、時間よ。とまれ

小学6年生の自分の計画によると22歳の自分ってもっとスゲー人間になってるはずやったのにね

きっとあと1ヶ月ではそのようになることはないでしょう

てことで22の自分に手紙を出してくれたはずの小6の自分に返事をだしてみましょう。(毎日聞いてるアンジェラアキの影響です。)

拝啓

この手紙、読んでいるあなたはどこでなにをしているのでしょう。

22になりかけているあなたは今、シリアというテロ支援国家に名指しされているところでアラビア語というなんとも奇妙な言葉を勉強しています。

どうしてそんな言葉を選んだのですか?真の理由を教えてください。

まあでもあなたの21までの人生ははっきりいってそんな悪くもないでしょ。

そして、小6のときにぼんくらだったあなたが22でそんな偉い人間になってるはずもないのです。

もっと現実をみましょう。

全てが人並みで、人より多くやったことといえば、テレビを見たことと寝ることとご飯をたくさん食べたくらいです。

あと受験期にはあなたは全く勉強しません。

テレビをみます。

そして、あなたは何かの勘違いをします。

そのことをあなたがもっと早く気づいてたらもっとましな人間になっていたはずなのにね・・・

あと10年であなたは色んなものを知り、色んなことを考え、色んなことを感じ、数々の敗北も味わうことになります。

でも悪いことばかりではありません。人生なんとかなるものです。

がんばって生きてください。

では

p.s. アンジェラアキは自分の声を信じて歩けばいいといっていますが、あなたの場合は信じなかった方が賢明だったように感じます。
敬具


といったとこですかね。

あと誰か落ち込んでるときに元気になるおすすめの歌を教えてください

では、やっらバーイ

2009年7月10日金曜日

今夜、月が見える城塞に

どうも僕です。

ブログ読者から催促のメールがきたので早速・・・

なにについて書こうか?

真面目な話?

それともおちゃらけた話?

では間をとって今夜とても月がきれいだった話をしましょう。


今日はいろんなことがあった。

朝は授業を受け、テストをうけ

意味わかめで

そのあとたまたまあった日本人たちとフォーシーズンズホテルの敷地内にあるコスタカフェへ

とっても高かった。

普段の3日分くらいの生活費だ(といっても1日200円くらい)

シリアではありえない値段だ。

でもそれは自分へのご褒美として、だらだらしゃべったあとで日本大使館周辺にある高級食料品店へ

すげー

なんでもあった。

なんと業務用の照り焼きソースとかうどんとか

でもくそ高い

これだったら自分で小麦粉こねるわ

と思ってふと賞味期限をみた

2008・・・・・

おいおいおい、ふるいにもほどがあるやろがい

それはおいときーの、とつぎーの

本題

今日はテストが終わったので無料のジャズフェスティバルがシタデルのなかであったのでいってきた。

正直、最初はジャズにはさほど興味がなく、無料でシタデルの見学をするためにいった。

でもよかったよ。

あんまりジャズは詳しくないけど先月同じクラスにいた奴といっしょに

よかったねという話をした。

そして、アンコール曲を聴いてるときの出来事だ。

なんと満月が城塞のすみからひょっこり顔をだして、だんだん現れていく。

なんと美しいんだろ

あえて描写はしません。言葉では書ききれないですから

そんな初夏の出来事でした。

ちゃんちゃん




というだけでは僕のブログとしては似合わないので、ついでに心暖まるストーリーを一つ

クラスでは席が決まってるわけではないのに大抵、みんな毎日同じ席にすわる。

今回のクラスで僕の横に毎日座っているのはムスタファというパキスタン系アメリカ人で20歳で四年生大学を卒業した秀才で、彼のおかげで僕の英語をしゃべる速さが確実にアップしている(英語か~い!!)

でも勉強ばかなわけではなくとってもいい奴なのだが、時々彼のリアクションに不覚を取ってしまうわけなのだ。

というのも先日、彼がプレゼンをする内容について話していたのだ。

「~と、~と、ベトナム戦争におけるブラックムスリムについて話すんだ。」と彼が言ったので

「えっ!ベトナム戦争と黒人に関係なんかあったん!?」と僕がいったとき彼はあるリアクションをとりました。


銃を構える格好をしながら

「bang! bang!. that’s it!」

といわれたのです。

ああああああ~!!!!!!!!

どうして俺はあのとき銃に撃たれるまねをしなかったのだろうか!?

俺は大阪人のはずなのにーーーーーーーーーー!!!

という自己嫌悪にさいなまれる僕のハートウォーミングな話なのでした。

ちゃん、ちゃん

ハラース

2009年7月3日金曜日

天罰うけてます

ちゃーす

おひさしぶりぶりぶろっこりー

僕も他の人と同様に更新をさぼっててすいません。

でも期待されるとだめな子なので許してちょ

新しいレベルも始まり、毎日グロッキー状態です。

このことをダマ大にいる日本人にいったら「ダハブでダイビングをしていた天罰だ」的なことをいわれました。

神様ごめんね。許してちょ

来週からは授業内容を簡単にして、宿題を減らしてくださ~い!

アッラーにこの叫びは果たしてつうじるのでしょうか?

まあいいや。くれぐれもいっときますが別にそんなにアラビア語を死ぬほど勉強してるわけではないからね!

こっちで先に留学している同期にあったけどみんな(○っちとか黒ずくめとかなっ○―とか)すごいレベルにいっているのではっきりいって自分の成長のなさにショックを受けています。
(詳しい内容はアラビア語科の人だけにわかるようにアラビア語で書きます。辞書なしなので間違ってたら許してね。)
لا سيما موتّي, قابلتها في دمشق و تكلمنا في اللغة العربية قليلا هي تتكلمها بطلاقة. صديقي السوري كان يتعجب منها أيضا.

さてさて、恒例の愚痴はほどほどにして



いってきました。

ダハブに

これで僕もアドバンスダイバーです。

実はダイビングのライセンス、思ったより大変です。

毎日100ページくらい教科書を読んで、車の教習所より長いビデオをみさされます。

オープンウォータのライセンスを取ったときは

「もうこれでいいかな~」とも思ったけど

よかった、アドバンスまでとって。

深海30メートルは異世界です。美しす

もう遺跡とかに飽き飽きしていましたが今度は海中遺跡へのダイビングに挑戦したくなりました。

つまらない話はさておき

帰り道におこった出来事でも書きますかね。

今回もやっぱりバスと船でエジプトまで・・・

行きはスローすぎるボート(9時間って・・・)に乗るのですが帰りは体力的にファストボートに

前にも一度体験していたので

「乗り込むのは2時やけど出港は6時くらいなんやろうなあ~」と思って一眠り

ふと目が覚めるともうボートは動き出していた。

「なに!もう6時か、めっちゃ寝たやん!」と思って時計を見ると3時半

私は一瞬自分の目を疑いました。いやなにかの間違えに違いないとも思いましたがやっぱり3時半なのです。

き、きせきや!
なんとイエスが死から復活するぐらいの奇跡がおきたのです。

中東で時間通りに船が出港している・・・・・

というわけで6時くらいにはヨルダンの税関も通り抜け、今日中にダマスに帰れるのではないだろうかとほのかな期待を胸にいだいたわけです。

これが大きな落とし穴でした。

税関を通り抜けたところでセルビスの客引きのおっさんに

「どこまで?アンマン?」と聞かれたので、うんとうなずくと手をひっぱれれました。

「いくらなの?」と質問をしたら10ディナールと言われたので

「ファック!そんな額払えるかボケ」とは言いませんでしたが

「それやったらバスにのるわ。」といってさろうとすると

おっさんが「まて、まて」といってきた。

やった。これを期待していたのです。

「これは値引きされるパターンや。らっき、らっきー!」と思い

いくらなの乗るのかといわれたので8と答えました。

あまり低くいうとヨルダンやシリアの人はなめてるんか?と思われて交渉ができなくなるので物価を理解していると示すためにも正当な額をいわなくてはなりません。

この額の根拠はアカバからアンマンまでの大型バスが5でムジャンマジュヌーブからアブダリまでのタクシー代が3、前にきたときにかかったので併せて8だと僕は損をしないわけです。

そして粘っていると8になりました。

「おっさんは4人乗ったら出発するから」といいましたがこれが大嘘

結局10人乗りました。

僕は助手席でデブでくっさいおっさんと運転席に挟まれた真ん中に座らされるはめに。しかも大きな荷物を膝に抱えながら・・・

あれや、これやで出発したのは7時、アンマンからダマス行きのバスがなくなってしまうので時間がない温厚なマツムラくんもさすがにイラッとくるわけです。

しかも運転手は悪びれる様子もなくアラビア語を少ししゃべれる外国人を珍しがってしゃべってくるわけです。イラ2

ガソリンがなかったのかガソスタに入り、ガソスタ付属のスーパーで買い物を息子とする運転手。人生で初めてクラクションを押しました(運転手を呼ぶためにね)。イラ3

そして、前を走っていたバスを追い越すために対向車線に出て追い越し、すると前からもスピードの車が!

はっきりいって死を悟りましたがなんとか回避。これはイラの対象外、恐怖ですから

100キロ以上で走っていると今度はスピードチェックをしていた警察官につかまってしまいました。おっさん、罰金を30払わされる。

そうこうしているとアカバの検問所に到着

もう、アンマンにはバスの時間までにはつかないと悟り、開きなおって、イライラは解消。するとおじさんは怒りが消えた僕の顔をみてお菓子をくれました。

ハンドゥリッラー

それからこっくりこっくりととても狭い空間(横のおっさんに押しつぶされそうな空間のこと)で居眠りをし、運転手がトイレ休憩といった。

うそこけ!

おっさんと息子の夜ご飯タイムでした。

乗客もみんなイライラ

でもおじさん、急ぐ様子なし

そしてようやく車が動き出し、横の運転手のおっさんをふとみると

左手には携帯、右手にはタバコとコーヒー

あれ?ハンドルは?

当然持ってない

な~に~、やっちまってるな!

僕はいつでもハンドルを握れる心の準備だけはしていましたが、まあなんてことなくすすみました。

そして、途中で道ばたに車がとまり、行き先によってセルビス同士で客の入れ替えがおこなわれました。

僕は違うセルビスに移るはめに

「これでようやくこのデブから解放だー!!!!!」と思ったのもつかの間、

違うデブの隣りに。そう、アラブ圏ではおっさんとおばはんは大抵、コロコロのデブです。

おねがいです。ダイエットをしてください。

と思っているとアブダリについた。セルビスを降りると運転手のお兄ちゃんに10払えっていわれました。

そう、お兄ちゃんは知らないわけです。

僕は経緯をなんとか説明
でもお兄ちゃんは「みんな10だ!」といってきたのでキレたふりをしてやりました。

そう、こっちでは先にキレたもん勝ちです。

しかも、こっちには時間という人質があるわけです。

もう最後のバスもとっくに出てしまっているわけなので僕にはたっぷりと時間があるわけです。

でも運転手はほかの乗客を送らないといけないので客が怒る前に話しをつけなければいけないのです。

結局8になりました。

そして運良く横にダマス行きのタクシーが

客も僕以外に3人そろっているので僕が乗り込めば出発というわけです。

らき、らっきー!

深夜12時、バスよりは高いけどホテルに泊まるよりは安いので乗ることにきめました。

すると横からフー、フーと鼻息が聞こえるではありませんか。

そうです。後部座席の真ん中には太って、鼻が詰まっているくさいおっさんがいたのです。

勘弁してください。

と思いつつ。横のデブにプレスされながら国境へ

しかも僕はくそ眠たいのにおっさんは興奮状態でアラビア語をしゃべる日本人が珍しいのかめっちゃしゃべりかけてくる。

うるさい、太い、くさいの三拍子そろった攻撃でせめたててくる。

マツムラくん、ダウン!

そうこうしてると朝の3半時頃にダマスに到着、そこに運良くそんな時間にセルビスがきて旧市街に

愛しき我が部屋に到着したのは4時半ごろでした。

意外に早くついた。

そして次の日から学校が始まるのですが、アラビア語を理解できないという悲劇が待ちかまえていたのです。

てことで、それから1週間リハビリをしてなんとか生きてます。

あとアラビア語科の人々に一言。

アメリカ人はぼんくらではありません。彼らスゲーわ。