2009年4月30日木曜日

おそおきなパン屋さん

CNN,BCCをひねればお豚さんたちのおかげで世界がてんやわんやですね。

でもここではおいしいお豚さんたちはいないのでパンでミックの心配はないわけです。

上の変換ミスを見て思い出したので近くのパン屋さんのことを書いてみよう。

近くのパン屋さんは朝しか働きません。そして、商品もホブス10枚という一種類だけなのです。近代的にベルトコンベヤにのって焼き上がってきます。

僕は8時までには家を出ないといけないので7時頃に買いに行くわけです。

手には15SP(30円くらい)を握りしめ、ホブスを買いにいくのですが最近パン屋さん、お寝坊さんなのです。 そのくせ午前中で店をしめてしまう

7時ごろにパンはあるのですがどう考えても昨日、売れ残ったパンを暖めただけなのです。1回買ってみましたが限りなくまずいのです。

誰かー助けてください。このままでは僕の朝食はどうなるのですか?

教えて~おじいーさん~、教えて~おじいーさん~。

パンがさんが早起きするかはインシャアッラーです。

2009年4月27日月曜日

プチジパング発見しましたパート3

あ~、なんかめんどくさくなってきたのでちゃっちゃと書くね。

で、カイロについたわけ。でもカイロですることなんも決めてなかったから暇なわけ。

そこにいたわけです。アラビア語科のアスディカーが。

いや~、日本語しゃべったね。

ときどき「俺、日本にいるんじゃないか?」と思えるくらい。

あとスーフィーダンス見た。

よかったね。どうしてあれがタダでピラミッドはあんなにぼったくるのか意味がわからなかったね。

カイロ最終日はサディーキーのお家にお泊まりしちゃいました。

夜の2時くらいまでノンアルコールビールを飲みーの、メロン食べーの、とつぎーの。

そして、別れの朝(ちゃんと下條アトム風によんでね!)

N本君は表の道まで送ってくれ、ヌウェバ行きのバスがでるバスターミナルへ・・・

約7時間後、到着した。

最初の印象・・・

ここは廃墟なのか!?

そうです。人がいないんです。

ガイドブックも地図も持ってなかったので頼りになるのは宿で写した手書きの地図と僕のシックスセンスだけ。

もう午後の6時くらいだったので急いで宿を探そうとして町の人に聞きまくる。

そして見つけたわけです。

ビーチの上にたたずむ小屋の群れを

台風が来たら飛んでしまうだろうなと思うくらいの作りで一泊800円くらいの激安リゾート

もう暗かったので海に入るのは次の朝にし、街(といっても店が10軒あるかないかって感じ)に繰り出し、ご飯を探すことに。

お金をあんまり使いたくなかったのでしゃーなしでコシャリ(きっと中国語で書いたら炭水化物天国)を食し、シリアにはないメロンを買い、帰り道、ふと空を見上げた。

やーサラーム。ヌジューム ジャミーラ ジッダン フィッサマーアッ

俺は巨大なプラネタリウムに迷い込んでしまったのかと思うくらいにはっきりとしていて、でも人工物にある嘘の香りはどこにもない。

説明はできない、直感的に感じる美しさがそこにはあった。

やることもないのでそのままビーチにむかい、寝転がり、波の音をききながら、ときを忘れ、ただ空をみる。

星が1つ、そしてまた1つ流れる。

もしかしたら今は燃え尽きてしまった星の光を今現在、僕は見ているのかもしれないとありふれたことを考えながら気づいたら1時間強そこにいた。

ベットに寝転がると移動で疲れていたのかまだ9時にもなってないのに睡魔が襲い、寝てしまった。

すると深夜12時すぎに黒ずくめの女から電話が・・・・

内容ははっきりとは覚えていない。ごめん

次の朝、海に入り、バンガロンに揺られ、おじさんに下ネタトークをされ、でもコフタをいただき、海を眺めた。

2時くらいに港につき、出国手続き。

みんなアラビア語なんてしゃべれねえのに良くこんな旅するねえ~と思ってたら、バックパッカーの半分くらいは流帳なアラビア語をしゃべってたので少しショックを受けた。

帰りの高速船は速かったけど出港時間が3時間くらい遅れたから関係なかった。

船の中では隣のレバノン人が気になるドイツ人のお姉さんに話しかけるのに協力させられた。

そのドイツ人のお姉さん(アンマン在住でアラビア語ペラペラです)とバックパッカーの台湾人のお姉さんにこれからアンマンにいったら深夜に着くから今日はアカバに止まったらといわれたけど、アンマン行きのバスに誘惑され乗り込んだ。

最悪だった。

夜の十時なのに横のおっさんは豆をぽろぽろこぼしながら大声で僕をはさんで逆隣りのおっさんとそして僕の真後ろのおっさんとしゃべるしゃべる。

お前は修学旅行中の中学生か!

とっこみたくなるくらい深夜バスで興奮してるおっさんども、ほんと迷惑

で朝の3時にアンマンに到着。

次の朝の7時、ダマスカス行きのバスに乗るためにそのバス停の近くの宿をさがすことに

開いてる宿をみつけ、フロントで熟睡していた若者をたたきおこし。

「1部屋いくら?」と聞く。

「16」

ファック!4時間のために16なんか払えるかボケ!という気持ちだけを抱え、ベットに戻ってうとうとしている彼に

「朝までロビーにすわっててもいい?」と聞く

完璧に目を閉じていた彼は「いいよ」と寝ぼけながらいう

きっと彼の記憶に僕はいないはずだ。

バスにのりこみ、ダマスに帰る。

途中でバスが故障するというアクシデントにみまわれるも運ちゃんと助手だけで修理してしまった。

ということで無事ダマスにつきましたとさ、めでたしめでたし。

あと余談ですが、昨日、ネットカフェに行こうとしたらシリア人の10歳くらいの女の子に握手を求められ、

「made in China?」と質問を受けたので思わず、

「made in Japan!」といってやりました。僕は外国製ではないのであしからず。

ふー、やっと終わった。

アラビア語でのプレゼンの準備でもしますかね。

2009年4月23日木曜日

プチジパング発見しましたパート2

さてさて、11時くらいにアカバにつき、港へ

すっかりすぐにフェリーに乗れるものと勘違いしていた僕はお巡りさんに

「どこに行けばいいの?」と聞く

お巡りさんはこう答えた

「ここで1時間くらいまてばバスがくるよ」

はああああ~!!もう深夜12時なんですけど!!!!!!!!!

周りにはアラブ人しかいないこの環境

誰かが「お~い、バスが来たぞ」とオオカミ少年的発言

みんなずらずら並ぶ、僕も並ぶ

大きな荷物をせよっていたので

「国に有事が起こったときの国外退去ってこんな感じなんかなあ~」

と思いをはせる。

バスは待てども待てどもこない

しょうがないから地面に座り込み遅すぎる夕飯をとる。

バスが来た。

乗る。

パスポートチェック

「おまえ、出国のスタンプねーじゃん!」とサツがいう

いそいで取りに行く

出国税が5だけかかることを知りポッケをまさぐる。

5ちょっきしだけある。たすかった~。

あせっていって無事船に着く。

中に入るとあることにきづいた。

イスガナイ!!!!!!!!!
(ナイスガイをうちまつがえたわけではありませぬ)

メッカ帰りと思われるくっさいエジプト人がそこら辺の床にころがっているではありませんか。

しかたがないのでレストラン???に入り、5ドルの意味のわからん弁当を買ってふてぶてしく居座ることに・・・・

さてさて、地球の歩き方にはエジプトのヌゥヱバまで三時間と書いてあります。

ここで問題です。僕はエジプトに何時についたでしょうか?

考えてみよう・・・・・・





正解は朝の9時につきました。

いや、意味がわからん。でもこれが中東なのです。

途中で寝過ぎてアカバにもどっているのかと思ったくらいです。

エジプトのN本君にこの話をしたら

「なに?波の流れに身をまかせたの?」という貴重なコメントをいただきました。

ということでパスポートが帰ってきてないことに半切れになりながらも港につき、バスにのりこんだ。

そして、カイロに9時間後につくのですがこの後は休みの日にでもかくことにします。

ヤッラ、バーイ

2009年4月21日火曜日

プチジパング発見しました

帰ってきたね。日本では旅行いって「やっぱ日本が一番だね!」

っていってる人に「それだったら行くなよ!」と過激派発言してたけどあえて言わしてもらおう

「いやあ~、ダマスが一番だね!」

僕はすっかりダマスっ子になってしまったようだ。

さて、そんなダマスっ子がおくるショート・・・・

いやいや、旅のお話

中東の旅を一言で片付けるとしたら「ヤー・サラーム」(驚いたときに使う表現です)だろう。

なにかとそんなできごとばっかり起こるのでやめられない、とまらない、カルビーカッパえびせん

ではウルドゥンのお話から

ダマスからパスで4時間ほどの場所にその国の首都ピザマン、いやいや、アンマンがあります。
(ちょくちょく寒いぼけかまして行くから覚悟しとけよ)

バスがついたらタクシーのおじさんがうようよ、よってくるけどそんなのはムシムシ。

スイス人バックパッカーカップルと2キロくらい荷物をせよってホテルまで。

きったねーホテルについたらおじさんと交渉バトル開戦

おじさん「この部屋は10ディナールだよ」

僕「たっけーよ、もって安いのがいいんだよ」

お「安いの探してるの!?じゃあここだね」

屋上につれていかれる

僕「・・・・・」

おじさん「ここなら3だよ」

僕「向こうのホテルは2っていってたよ」(聞いたことないのに)

おじさん「じゃあ1にしてやるよ。でもそのかわり他の奴来たら横に寝かすからな」

僕「そ・れ・で・い・い・よ・・・・・」

ってことで屋上にとまることになりました。

二日目はバハル・マイトゥ(死の海)へ

ホンモスをロビーでがっついてたら今から死海に行くんだ~。と話してるイギリス人発見。

僕はしゃべりかけた「えっ!死海行くの????」

トムって感じだったからこれからトムと呼ぶことにしよう

トム「そうだよ。今から行くよ。きたいならすぐに用意しな!」

あんざ~す。って感じでついていきました。

でもでもでもでも、着いたら。

「もうツアーは満杯です。」

はいはい。そうですか、では他の方法をさがすことにしよう。とおとなしく引き下がってみました。

そしてバス会社で次の日のバスと12時出発のフェリーを予約して路線バスで行くことにした僕

水着を激安で買い、バス停へ

「このバス死海にいくの?」といつもするおきまりの質問

ウンちゃん「ああ、途中までな」

乗客が平気でたばこの灰を地面に落とすようなバスに揺られること1時間

「死海に行くにはここで乗り換えだよ。」とウンちゃんが教えてくれたので降りた。

タクシーのおじさんはよってきたけどえげつない値段をふっかけてきたので軽くあしらい死海まで行きそうな車を待つことに

そして1台の車が僕の前に止まった。きっと白タク(車は赤いおんぼろの車だけどね)だな~と思い、近寄る。

僕「死海までいきたいんやけど?いくら」

う「3だよ」

僕「2だったらのってあげる」

う「じゃあ2でいいよ」

ってことで乗りました。

う「死海のどこ?」

僕「アンマン。ビーチ」

う「どこだよ。俺アラビア語しかしゃべれないんだよ。」

僕「おれもフスハーしかわかんねーよ」

う「ははは、けっこう、けっこう」

ちょっと仲良くなりました。

そしてビーチに到着

僕「ありがとうおじさん」

う「ここのビーチは高いからおれが交渉してやるよ」

親切だけど案の定公共のものは安くなりませんでした。

死海はどうだったって?ぬめぬめしてたよ。

少しリゾートを満喫して帰路はタクシーを金持ちベトナム人とシェア

その内容は過激なので割愛させていただきます。

さて次の日のフェリーのお話はまた明日、

今日からまた地獄のアラビア語生活が再会です。はあ~

2009年4月9日木曜日

ハラース!!!

終わったー!!!!

一タームがやっとおわったよ~。

ここで1ヶ月を振り替えてみよう。

最初の一週間は死にものぐるいで勉強して授業中は泣きそうになってたなあ~。

めっちゃ鬱状態みたいになってたし

シャイウン(thing)というアラビア語の複数形のアシアというアラビア語を覚えてなくて

ほんとに

「先生なんで芦屋、芦屋っていってんだ!?」と思ってたレベルだ。

でも、2週間目くらいから先生が何を言ってるのかわかるようになってきて

いまは買い物をしてお店の人とフスハーで談笑できるくらいかな。

あと、今日の面接で「チェ・ゲバラについて話して」

といわれ、「え・・・・」

と固まってしまいました。

あと、しゃべる授業で必死に国作り神話をアラビア語で説明したっけな。

考えてみたらこの1ヶ月は長いようで短かった。

きっと約1年の留学生活もこのように過ぎていくのであろう。

最初の方は早くおわんね~かな~

と思ってたけど、今となってはクラスの友達とかは国に帰っちゃう(タームの期間が短いからみんな大学の休みを利用してきてるらしい)から寂しい限りだ。

あと、きたばっかりのときはほんとにもうちょい日本にいればよかったと思ってたけど

いまになっては1ヶ月遅かったら全く簡単なアラビア語も話せてなかっただろうからよかった。そして英語能力が飛躍的に伸びたきがする。

で、明日からヨルダン、エジプト旅行に出発だ~。

でもアラビア語ばっかやってたから全然計画が建てられていない。

よし、ヨルダン行きのバスの中で地球の歩き方でもみて計画をたてよう

いまはヨルダン行きのバスがどこから出てるかすらしらないけどね。

まあ、誰かに聞いたら教えてくれるだろう。

こっちに着て覚えた一番大切なことをおしえてやろう。




人生、結局どうにかなるもんだ。



エジプトの方々、僕の到着をこころまちにしといてね。

2009年4月3日金曜日

金曜の朝

ぼくは金曜日が好きだ。

この書き出しはあのKO大学にAO入試で受かった友達が出願で書いた文をまねてみたものです。

ちなみに彼は書き出しで「僕は散歩が好きです。」と書いて受かってしまったそうです。

金曜日はこちらではウトゥラ(休日のこと)

ダマスカスというシリア1の大都会の中で普段はさらに一番こみあっている場所に住んでいる僕なのですが、金曜は静かにときが流れている感じ。

そして、朝起きてタスクはお散歩にでかけた。

今日は「チン・チャン・チュン」と意味不明な中国語を投げかけてくる若者もいない。

心おだやかなタスク

気持ちがいいので、いつもと違う散歩コースをとってみたようだ。

おやおや、こんな時間からお菓子屋さんが開いているではありませんか。

買おうか・・・・

いやいや、と最近メタボが気になる21歳のタスクはぐっとこらえる。

シタデルから出て、地元の人がお買い物をする市場を通る。

なんて旨そうなんだ!と思うタスク

そう、シリアは野菜や果物が異常なほどうまいのだ。

そういえば、野菜があまり家にないことがないことに気づいたタスク

そう、タスクは自炊をしているのだ。

トマトとキュウリを半キロずつ購入

気になるお値段は・・・・

ダラダラダラダラだん!

両方で70円な~り~。

ふと、レモンもほしくなるタスク

シリアでは日本で酢を使う代わりにサラダにレモンをかけてドレッシングにするのだ。

おじさんに

「一つだけほしいんだけど、いくら?」ときく

おじさん「いいよ、もってけよ。」

タスク「ほんと!」

ラキラッキー!!!! フー

なんとレモンのおまけをもらっちゃったタスク

早起きは三文の得といったものである。

こんなさわやかな朝を迎えたタスクなのでした。

さて、ここでアラビア語科の人に問題です。   

ダラン!

トマトとキュウリ、アラビア語ではなんていうでしょう?

あと「早起きは三文の得」をアラビア語に訳しなさい。

一問目は心のなかで、二問目がわかったかたは僕のメアドまでメールしてください。
(そういえばこないだ出た課題で「一期一会」をアラビア語に訳して意味がわからない文になってしまいました。)