2017年6月10日土曜日

スーダン、にーかいめ、にーかいめ

スーダンに2回も行く人。実は結構いる。そして私もその一人だ。

そう、4月からスーダンに戻っています。中東・北アフリカの国での滞在、2周目に入ってきた国もでてきて、それなりの歳になったんだなって実感してます。

朝、8時前に職場に行き、遅くても8時には帰り、大体23時には寝ている健全な生活。休日は朝からテニスをし、洗濯、アイロン、拭き掃除、掃き掃除、モップ掛けをし、コーヒーを入れ、インターネットサーフィン、テレビ、読み物をしていると2日間がなくなり、また一週間が始まるといった具合である。

今度は、国際機関でのお仕事。正直わからないことだらけで、触れたことのない情報が多く、記憶容量が上限を超えてあふれ出してることが自分で良くわかる。

今のお仕事は、人の命を守ることを最も優先度の高い基準に据えて考えを組み立てていくので、やりがいはある。また調整や取りまとめ業務を行っているため、今までの経験もなんだかんだ役に立つ。ただ、首都の事務所におり、特定のプロジェクトを見ているわけではいため、現場からの距離は遠く、仕事をしていてバーチャル感があり、そういうジレンマは日々感じてしまう。

実感としては、これまではメディアからの情報や政府関係者からの情報を得て、国全体や政府の意向を中心に考えていただけど、今は日々、現場から現状報告があり、より「人」やそこにある問題に焦点を当てたより細かい情報を得ることができる。

具体的には、スーダンを国単位のマクロな視点でとらえるとダルフールやその他の州での紛争は収まりを見せており、経済的にも石油収入が減る中で一定の安定は保っているため、国全体の流れとして復興や開発のフェーズに入っていくことが妥当だと思える。しかし、南スーダンからの移民・難民が流入し、国内の紛争で移動を強いられ、ご飯を食べられない人、医療を受けられない人、教育を受けられない人はとても多く、特に断続的に紛争を行っていた地域に住む人は命の危険に面しているので、今日・明日の命をつなぐ支援もいまだ必要となっている国なのである。前は前者の視点に立っていたけど、今は後者の視点が強い。

ちなみに、どの紛争国、紛争経験国、あるいは紛争以外の危機に瀕する国でも、命をつなぐ支援と持続的な復興や開発を平行的に押し進めて行く必要がある。ただ、現状ではどちらの支援に重点を置くかは支援国の政策や支援を受ける国の要請によって決められており、現実を反映しない支援内容の偏りが問題となっていたり、また命を助ける支援というのは、支援国からすればいくらつぎ込んでも吸いこまれて(ごはんは食べればなくなる)、また大切な血税を永遠に払うことになるので開発用語で「援助疲れ(aid fatigue)」という現象が起きる。

スーダンについて言えば支援国の「援助疲れ」は限界に達している中、治安の好転や経済上の一定の安定は、命を助ける支援を行いながらも、スーダン政府や自治体、コミュニティの能力を高めることで、紛争や飢餓、あるいは治療可能な病気で死ぬ人がいない環境を作り出すことが可能な状況を作り出していると言え、それはいい兆しに見える(詳しくこの考え方を知りたい場合はhumanitarian, development and peace nexusを検索して見てください)。2つの支援スキームを分断的に考えるのではなく、命を助ける支援を行いながら、スーダン人による対処能力の向上を行える支援を入れる考えを、第一にスーダン人自身が、また支援国や支援に携わる人も持つことが、重要であり、その実行が課題でもある。

小難しいことを言ったようであるが、要は前よりももっと細かい単位で支援の必要性を見ることができる環境にあるということです。そして、そういう現状をかみ砕いて、わかりやすく人に伝えていけることを願っている。

なんか言ってること意識高い系ですよね。でも、我々の伝えようとしていることのベースにはご飯を食べられず、また医療を受けられず死んでる人が実際にいる「現実」があり、何が今起きているかを感じ取っていただければありがたいと思う今日この頃である。

すごくいいことを言った気がしていて、全然おもしろくないので、スーダントリビアを2つ。家選びの際、日当たりの良い家は避けましょう。あと、日本で話題がないときに使う天気の話題、「めっちゃ暑い」って言うとスーダンの方々は喜んでくれます(今日はいい天気ですねって言っても当たり前なので、ここでは意味をなさないと思う)

ご清聴ありがとうございました。