2017年7月22日土曜日

時間

週3回、朝の会議の準備、議題整理を担当している。

最近、議題から脱線して、時間が長引いてしまうことが多々ある。

そのときに、よく聞く意見がこれだ「あーゆう、人たちは人の時間を取っているという自覚がないんだ」

私も、あー、議題違うんだけどなー、早く終わらないかなーと思い、人に上記の意見は言われるたびに苦笑いをしてします。

社会的にはその通りの意見だけど、ふと自分では「時間」ってそんなにないものなのか?と思ってもいる。

特に、時間がなかったからできなかった、という良く使われる理由は、時間が制約されるテストにだけ使ってもいい理由で、その他の状況では「やる気がなかった」あるいは「漠然と答えがわからなかったので、できなかった」のだと思った方がいい。

時間ってあるんだと思う。忙しいからそこまで手が回らなかったということもあるけど、仕事だったら、時間制限って結局めどをつけるため、便宜的につけていることが多いので過ぎてもやりきるれることって結構ある。

だから、時間を奪われているのは錯覚で、要は当初の想定とは裏腹に話が脱線することによって「不快な時間を他人に強要されている」のがどうにも我慢ならぬ。というのが正しいのではないだろうか。つまり人間は自分で自分の時間の過ごし方を支配する、あるいは自分で選択した時間(or 選択したと思わされている時間)の過ごし方をできてなれば不快に感じてしまう生き物なんだなーとふと思った土曜であった。

そう、そしてこんなことを書いている私は、やろうと思ったことが全く手につかないので、自分の時間をこれを書くことを選択したつまり、有意義な時間をすご・・・しているのか?

2017年7月14日金曜日

コンプレックス

ビーマイベイベイ、ビーマイベイベイ、ビーマイベイベイ、ビーマイベイベイ
いやそっちじゃない。というか、分かりにくいボケですみません。

ちまたでは、3日、3か月、3年と3のつくものには、変化を感じやすい。つまりダレやすいと良くいったものです。そう、いま、たすくちゃんは新たな仕事3か月目。なんだかなーという感じで、体があまりゆうことを聞かず、脳は従順、体は反抗期状態です。
こういう循環が良くないときは、家に帰り一息つくと、ふと内省を初めてしまうもの。そこで考察してみるとなかなか面白いのではないかと感じたのでまとめてみたいと思います。(全然悩みとかじゃないんで、真剣にとらえず読んでくださいね)

1、関西人なのに面白くないコンプレックス
中学時代から感じていたのですが、自分の発した話題で笑いを手にしたことがない。トーンなのか、発言なのか。。。それともセンスなのか。。。。
まだ関西にいるころはそれは漠然としたものなのですが、関西以外の人たちと会うとそれを目の当たりにするのです。関西人だから、面白いことをいうんだろうなというまなざしを感じる。。。
言わしてもらおう、関西人、みながおもろかったら、今頃みんな窒息死してる。私のような人間が関西の人びとの命を救っているのだ。(聞こえてくる、なんちゅう理論や!というつっこみが)

2、学歴コンプレックス
この世界にいるとみんな周りは名だたる日本及び世界のトップ大学出身者ばかり、常日頃から、学歴なんて関係ないと人前では言うものの、なぜか引け目を感じる。
ああ、これが学歴コンプレックスというものか。大学の名前で脳みそのレベルが劣っているような気になる。でも、だからこそ、このすばらしき人たちより努力しなければいけないのだ!という自分への戒めにもなっているから不思議なものだ。



なんか、いま思った。僕って前向きやな。