2010年9月25日土曜日

おとなのけんか

は、なかなか見応えがある

喧嘩といっても頭を使うようなけんかではなく、本気でのとっつかみあい、殴り合いです。

たちどまって観戦してしまいます。

K-1よりもよっぽどおもろい

ちょっと残念なのは、彼ら無駄に鍛えてるから力はあるんやけど、力を入れすぎてなぐれてない。

パンチは力を抜かないと打てないよ。といってあげたい

でも、アラブのいいところは通りがかりの若者が飛び込んでいって、殴られながらも止めに入るところ。

そういえば、バスでは年長者、女性に当たり前のように席をゆずるし、ほんといい人たち

ただ、東アジアの人間にむかってチンチャンチュンって言わなかったらもっと評価高いのにね。

あと一週間でこの生活が終わると思うとさみしいけど、がんばろう大阪

2010年9月2日木曜日

ウスターズ福原

会ってきました。

彼、元気でした。

なんかスタイリッシュになっていました。

ていうか26日まで日本にいたそうです。

たいして来たときかわらへんやん!!

まあ、まあ、そんな感じでそうめんは食べませんでした。

「そんなに懐かしくもないでしょう。」

やってさ

その通りやで。

私が考えていたことを察知していたみたいです。

さすがウスターズ

なので近くのピッツァを頼んでくれてました。

おいしかった。

先生、すごい勢いでほおばってました。

そのあとスイカも出してくれました。

おいしかった。

シリアダイエット計画はもはや台無しです。

お話の内容は以前聞いた大阪大学批判

そして、題名をつけるなら「息子とのシリア旅行」、「命がけの居眠り」、「後釜には福田くん」などなど、オフレコな話ばっかりでした。

あと、暇だから松村くんと同じクラスで勉強しようかなあ

と言い出すしまつ

そして、「入り浸ってくださいよ」

っていわれました。

よっぽど暇みたいです。

いいおじいちゃんだね。

2010年9月1日水曜日

これがラマダーン

昨日は朝から学校に提出する資料集めのため、炎天下の中を歩いたせいかよく寝た。

昼寝

ごはん(食べたのはパンだが・・・)

夜寝

そしてはっと気がついたら時計は00:13と書いてある。

タラーン

どうして昼まで寝てしまったのか・・・

レベル分けテスト、とばしてるやないか・・・

と汗が流れる。

しかし、冷静になって外をみたらまだ暗い

よかった~、夜の0時だったか。

と思うと、たすくは生活のために買おうと思っていたものを買えずじまいであることを悔やみ、ふと、のどが乾いてきた。

まあ、家の前の店ぐらいだったら12時でもあいてるだろうと思い、外に出た。

なんてことだ・・・

昼間より、人がいるではないか・・・

しかも、昼間より店が開いている・・・


フーフあまっ

あっ、こっちの話です。書きながら食べていた三木プルーンの干す前のプルーンがあまりにもおいしかったもので・・・

これをみた三木プルーンの人が1年分の三木プルーンおくってくれないかなあ


さてさて、話をもとに戻そう

去年もラマダーン中にシリアにいたのだが、よい子のたすくちゃんは深夜に出歩くことはしないのである。

そのため、本当のラマダーンを知らなかったのだ。

たすくは確かにおかしいとは思っていた。

だって年中無休のはずの有名なアイスクリーム屋であるバクダーシュが閉まっているし、あんだけ普段から混んでいるスーク・ルハミディエの混み具合もそれほどではないからだ。

やられた、やられちゃったよ。

てなことで必要だった生活用品を全て買うことができた、たすくは満足であった。


ちなみに関係はないが今日、会う予定だった福原先生はすっかりそのことを忘れたので明日会うことになりました。

電話で楽しそうに「日本料理がありますよ」と言われて期待していると、それはそうめんであることが発覚しました。

そうめんは日本料理に分類されるのでしょうか?

あきらかに中華料理でないことはたしかです。

まあ、先生のいうことには黙ってしたがいましょう。

はて、明日はどうなることやら。

2010年8月28日土曜日

復活ですよ

めっちゃ久しぶりです。

いま、クワラルンプールにいます。

レバノンにいく途中です。

どきどき、ワクワク

これからどんな苦難が待ち受けてることでしょう。

ちょくちょくおもしろかったこと書くから期待して!

では

2010年5月9日日曜日

なんちゅう結論や!

ある方のブログに自分のブログに書かれてたことにいま驚いてます。

こんな更新しないブログにまだ読者がいたことに喜びを覚えています。

感動した!!!!

小泉かっ!!

って最近、古いつっこみをして場をシーンとしてしまうことが増えた今日この頃です。


さて、みなさん5月ですよ~~

5月といえば??

そうだね!五月病の季節だね。

でも不思議と五月病にはまだかかっていません。(って、おい!)

てかゴールデンウィークが普段よりいそがしいってどないやねん。

バイト、先輩に呼び出される、同期に会う、剣道

あれ?勉強は?


そうです。私は院試のために勉強しているふりをしなければなりません。

でもやってない自分をいつも戒めています。

そして、卒論(きっとこれも将来を左右する・・・)

研究がすすまないこと、すすまないこと。

なんて難解なんだ。あ~、レバノンなんて国が存在しなければよかったのにーーー


あと誤らないといけないことが1つ

竹田ゼミでは調子にのって発表してしまい、誠に申し訳ありませんでしたm(_ _)m

なんか自分が1人で調べていることをみんなが聞いてくれることがうれしくて、うれしくて・・・

だって普段、絶対に話してもみんな聞いてくれない話なんやで!

でもここで皆様の誤解を解かないといけないことが1つ

私、レバノンがリアルに大っっっっきらいです。

シリアさいこーーーーーー!!!!!

ここで皆様から

「じゃあなんでレバノンのことなんか調べてるねん!!!」

ってつっこみを受けてることでしょう。


では、それにお答えいたしましょう。

簡単に言えば興味深いから

でもそれじゃあここまでたわごとを読んでいただいた方々に申し訳ないので暴露しましょう。

実は、レバノンにいたときにずっとなんだかの違和感を感じていました。

人、街、社会、全てにです。

はじめのうちは、僕がシリアの田舎生活の直後に移住したから、西洋諸国なみに都市化された生活になじめてないだけだと感じていました。

でも、1ヶ月がすぎ、2ヶ月が過ぎても違和感がとれないのです。

で、あるときから、ある感覚的なものを感じるようになりました。

ハード面ではすごいすすんでいて、全てのものが最先端、でもそこに住む人間の中身がすかすかなのです。

たとえるなら、すごいイケメンなのに、やばいくらいあほな人間のようなものなのです。

具体的にいうと、毎晩飲み歩き、ベイルートが世界一のナイトスポットだと自慢し、高級車にのり、高級ブランドを身につけ、美容整形に走る見栄をはっている人間ばかりなのです。

かといって、ベイルートから出てしまうと都会の暮らしなど知らず、シリアの田舎の人より全ての面で貧しい生活をしている人がいるのです。

そして、南部ではイスラエルからの攻撃にいまだにおびえる人がいる。

そんな事実を知るとなんだかやるせない気持ちになり、もやもやする気持ちが残るのです。

その「もやもや感」の正体を解明したいがためにレバノンのことを研究することになり、そしてもやもや感を解く鍵の一つがレバノンでおこなわた「紛争」ではないのかと考えたのです。

紛争は思った以上に若者の心に傷跡を残しています。

あるとき、ベイルーティーに質問してみました。

「どうして、毎日そんなに飲み歩かないといけないの?」

すると彼は答えたのです。

「だってまた明日戦争がはじまるかもしれないんだぜ」

彼はおちゃらけていたのかもしれません。でもこれがレバノンの現状なのです。

見た目ではベイルートは戦争の爪痕は見かけられない状態なのに人の心はすさんでいて現実逃避に走っているのです。

そんな同世代の人たちと話していて、わけもわからず悔しくなり、陰で泣いたときもありました。

問題は人が自分たちの問題に全くといって気づいておらず、金がすべてだと信じ、酒におぼれた生活をしているのです。

なにが悪いんだろうか? 社会? 政府? 外国?

彼らの無知を責めることができようか?

なにか関係のない自分がこんな人たちのためにできることがあるのだろうか?

またこんな人たちを今後自分が見ないためにできることはないのだろうか?


わからない。

でも、わかるかもしれないという可能性のために大学院にいこうとしているのだと思う。

まあついでにいっとくと大学院にいくことも本当の正解だと思っているわけでもない。

自分の中に1つだけ軸があってそれは価値観をおしつけはいけないということ

でも、現地のことも知らずにほえてるだけでは結局自分の価値観をその対象となる人たちに押しつけてしまうことはいなめない。

確実なジレンマだよね。


あー、なんか自分が密かに思ってることをいうのって恥ずかしいな

しかも、こんなん書いてると熱い人って勘違いされそうやからややわ。

私をご存じの方は知っての通り、とてもちゃらんぽらんで熱いことがだいっきらいです。

俗にいう草食男児というやつなのかもしれません。

んっ?だからもてへんのか?

もてたい

2010年4月24日土曜日

本当にひさしぶり

ひさしぶりに書こうという気がおきました。

てか誰かこれ読んでるんかな?

まあええわ

最近、朝7時におきてます。

だって毎日バイトか授業が朝から入ってますからね。

でもなんか充実してます。

シリアにいたころよりは勉強してないけど、勉強とはどんなものなのか少しわかった気がします。


関係ないですけど今日はバイトの飲み会でした。

人生ではじめてバイトで飲み会に参加して思ったのです。

いろんな人はいるんだなと

大学にいるとなんとなく同じ境遇の人間が寄せ集まりますが、バイトはいろいろです。

みんな違う大学に行き、違う将来の目的をもっているんですね。

なんか理解しているようで理解していませんでした。

新しいことを知るというのは楽しいことですね。


生きてるって楽しいわ

なんか宗教みたいやな・・・

2010年3月7日日曜日

we are the world

今日、テレビで見かけてので軽い気持ちで新しいバージョンのwe are the worldを聞いてみた。



いい歌だね


なんか初めて歌詞を聴いて泣いてしまいました。

「自分がやれることをやる」

という単純なメッセージが心に響いたのと、自分が最近感じてることがそのまま歌詞にのっててね・・・

でもつらつらとは書きません。

最近ブログが真面目だったので旅の思い出でも書いてみようかなと思います。


では私のシリアの家族であるアブーバルジャス家とのお別れの話でもしましょうかね。

シリア一周旅行から帰って1週間後に家を訪ねてみました。

すると、ある事件が発生していたのです。

孫のなかで最年長のアドナーン(15)が学校をやめたというではありませんか。

激怒しているおばあちゃん

そして僕にいうのです。

「今の時代、学校も出てないと仕事がなくて嫁もこないじゃないかあ!!!!! どうなんだタスク?」

ちょっとびっくりしながらつたないアラビア語で

「いや、いいんじゃないかな?農業をする人、物を作る人、いろんな人がいるからこの世の中はなりたってるんだよ。おばあちゃん」

とそつない返事をしたらおばあちゃんに

「おまえは、こんなとこまで勉強しにきてるじゃないかああああ!!!」

と怒られちゃいました。

ごもっともだよ。おばあちゃん


そして、いつも通りぼーとして、ご飯食べて、10時においとましようと決めてたので

「じゃあ帰るね」

というと必死でおじいちゃんが

「いや、泊まっていきなさい」

というので必死で

「いやあ、明日朝早くにいくとこがあってさ」(本当はうそやけど。おじいちゃん、めんご)

というと、おじいちゃんが

「じゃあ、早起きしていきなさい」

といわれたけど必死に言い訳して帰ることに・・


ダマスに帰るためのセルビスを待ってると

「タスク~~~~~」

と大声で呼ばれた。振り返るとアドナーンの姿が・・

なんか忘れたかな?と思って近づいていくと

「これおばあちゃんから」

と500SP(1000円くらいやけど村の人にとっては大金です)が渡された。

こっちもお世話になっているので受け取れない

でも

「このまま持って帰るとおばあちゃんに怒られるんだよ」

と向こうも引き下がらない。

そして、そんなやり取りをしつつ結局もらうことに・・

本当の息子あつかいに感動しながらも、少し罪悪感・・



そして帰る1日前に日本でアラビア語を教えていただいてた日本人の先生を連れて最後の挨拶にいく

500SP以上のおみやげを手に携えて行った

おばあちゃんの娘に

「お金あるやん」

的なつっこみをうけつつ、ちょっと家族を感動させる。

羊の放牧をし、そして帰ろうとしたら、飯だけでも食っていけ

といわれ、断り切れずに食べ、そしてお別れのとき

実はアドナーンは自分のお金で服を買ってくれたのだ。

マジ感動したけど、トランクに入らないのでアメリカ人の友達に次の日、あげてもうた。

「夏に絶対くるんだぞ!!」
とか

「絶対電話しなさい!!!」

とおじいちゃんにきつく言われ、ずっと玄関先から見送ってくれる。

まじ感動

でも先生いるから泣くになけねー。


そんな感じでした。

日本に帰ってからすぐに電話をかけようと試してみたけどかかりませんでした。

あ~あ、絶対、夏にいったら怒られるわ

2010年3月3日水曜日

春休み初期

ひまや~

やることない~

頭がとろける~

アラビア語

わからへん~!!!!!!

2010年2月13日土曜日

いまのぼく

まだブログ更新を期待して見てくださっていた方々、

申し訳ありませんでした。

さてさて、私はもう日本に帰ってきてます。

実はブログは留学中だけ使用する予定だったのですが、あまりにも評判がいいため、続けて日本でも使用することにしました。

思いついたこと、いま考えてること、留学中の思い出etc. 

てな感じで日記みたいに自分の思考を記録するために個人使用を中心にする予定です。

少数のファンだとは思いますがこれからもご愛顧ください。


では日本に帰ってきてからやってることでも書きますかね。

いってみればなんもやってないですね。

やはり母国語ではテレビがおもしろすぎる

ご飯もおいしいし、自分で作らなくていいのでついつい食べ過ぎてしまう。

まさにだめ人間


でも留学前とはしみじみ違って感じることは自分はほんとうに恵まれているということ

別にこのまま普通に就職して、お金をかせぎ、普通の家庭を築いて

「あ~、俺って幸せだったなあ~」

と感じる人生でも本当はよかったような気がする

ていうか日本に暮らしていたらそれが難なくできるような気がする。

でも今、自分が選択しようとしてることはそれと逆行しているような気がしてならない。

詳しくは言えないが、僕は自分が全力をつくして生きていけるような人生でありたいと思っている。

死ぬときに

「全然、人生に後悔ってないな」

って思って死にたい。それはたとえ30で死のうが今、死のうがそう思えるようでありたい。

別に普通の大抵の日本人が歩むような道を批判しているわけではない。

いまの日本があるのは名前もしらない無数のサラリーマンのおかげである

海外に出ればわかると思うが日本の製品や日本人というものは非常に尊敬されている。

それは先人たちの積み重ねの結果なのである。

もっといえば、ぼくが海外に行って勉強して色々な体験ができたのもそういった豊かな日本社会を作っていただいた方々のおかげなのである。


人間には人それぞれの役回りというものがあると感じる。

あたり前のことやけど車をつくる人がいたり、家をつくる人がいたり、あるいは政治をする人がいるからこの世の中はうまいこと回っているのである。

前にも書いたように自分には人とは違った役回りが与えられたと思っている。

そのためには努力をつくさなければいけなんやけど、なかなか誘惑にかられているのが現状である。

もっと強い人間になりたいと思うけど、それもなかなかむずかしい。

でも中東で学んだことが1つある。

「なるようになる。」ということ

本当にかなえたいことであれば人間ある程度は実現させることはできるだろうし、できなければそれまでだということ。

もっと人生って気楽に考えていいと思う。

僕が強くなろうと思えば自然とその方向に物事が進んで行くもんだし、吸い付けられるように動機や原動力が現れると思う。

現に1つ原動力が見つかった気がする。

自分は何かを達成するのに人より時間がかかる人間だし、学習能力も非常に低い

でも、アラビア語を覚えたときのように少しずつ取り組んでいこうと思う。

おれってまじめやな

すげっー適当人間やのに・・・