2009年12月27日日曜日

行ってきました

ホムスです。

ホンモスではありません。ホムスです。

まあ簡単にいやあシリア第三の街ですね。

AUBにかよっている友達がクリスマス休暇のために里帰りしてるから誘われていってきました。


あんまり書きたくないけど、この体験はなにかにかいとくべきだと思ったので書きましょう。

朝の8時にダマスを出発し、10時ちょいにホムスに到着

なかなか迎えがこない。

アメリカ人の友達とシリア人の友達がどんな車で我々を迎えにあがるのか予想する。

僕は運転手つきのリムジン(リーンカーン)にのってくると予想

でも以外に旧型のベンツで迎えに来た。ちょっと期待がはずれた。

彼「いやあ、本当はバス停のなかまでは入れないんだけどはいっちった。」

心のなかで「知ってるのになんで入ったねん」とつっこみ

まあでも愚問になりそうだったので質問は控えた。なにせ彼、巨大なワスタ(コネのことね)を持ってらっしゃいますから

そして旧市街のスークに着く頃に事実が判明

「実はさ、この車、ハーフィズ・アサドから家にプレゼントされた車なんだ」

はい??????? ハーフィズ・アサドとおっしゃいますと先の大統領様ですかえ???

彼の説明によるとみんな彼のナンバープレートから大統領関係の車だとわかるらしい・・・

すごいね~

まさにアストニッシュドだよ。

そして、ホムス観光

特に見所があるわけではない。

街だね。

でもスークは観光地化してしまってるダマスとは違い、地元の人であふれていたので楽しかった。

お昼前のスナックにと彼の行きつけのファラーフィル屋に行く。

ファラーフィルは1時からだと言われ、時間をつぶすために彼が高校時代にたまってたインターネットカフェに行く

そこで今年のM-1みました。

パンクブーブー、おもしろいか?

すまん、俺の笑いのセンスがすたれてるだけかもしれんが全然笑えなかった。

でも1ついっとくと笑い飯の「鳥人」確かにおもしろい・・・

実は私、大のアンチ笑い飯です。

あんな漫才のスタイル、認めません。

前までのネタも小学生の会話みたいでおもしろいと思ったことがありません。

でも確かに鳥人はよかった。

間の取り方、つこっみの長さ、そしていままでなかった細かさがあった。

でも一つ疑問が

8年連続出場ってことは初めて出場したときは結成3年目だったってこと!?

そりゃないでしょ。


まあいいや、話戻します。

ファラーフィルを食べ、彼いきつけの違法DVDショップに

1枚15sp(約30円)

やっす

キリスト教徒地域に行き、伝説では聖母マリアのブレスレットと言われるブレスレットを見る。

その後一行はファラーフィルのおかげでおなかがいっぱいなのにちょっとした高級レストランに

みんな正装したおなかがぼってりしたおっちゃんばっかりの中、ジーパンにパーカーを着た日本人が1人

場違いきわまりない。まあでもその服装でシリア最高級のフォーシーズンズホテルでディナー食べましたしね。マーレーシュ

さてさて、食べたあとカフェでぺちゃくちゃしゃべり、そしてお別れのとき・・・

実は3日後に彼がダマスに来ることが判明

なんだ、また会えるじゃんってことで軽いお別れ。


ちなみにここまで全て彼持ちです。

ごっつあんです。あんざーーーーーす。


彼、日本に来る気満々なので私の財力でそんなことができるかは不安ですが、やってもらったんだから仕方ないよね。

人間、持ちつ、持たれつですからね。

いい体験できたな。

あっ、新年はベイルートで迎える予定です。

「1年おつかれ!たすくちゃん」ってことでパッと散りたいと思います。

では、師走ムードが一切ないダマスからでした。

2009年12月24日木曜日

もうすぐ・・・

もうすぐこの長かった留学生活も終わる。

てことで


メリークリスマス

いやあ、クリスマスですね。まあなんにもそんな雰囲気はないんだけど

でも友達のアメリカ人どもが「クリスマスまであと( )日だよね~。」

と毎日いってきやがるので多少はそんな感じがしてきたでもない


この1年いろんなことがあった。

なんかありすぎて思い出せない。

楽しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、はやく脱出したいと思ったこと

そしていろんな経験や月1ペースでの海外旅行

てことで入国スタンプの数を今、数えます。

フランス1、シリア8、ヨルダン2、エジプト2、レバノン4、トルコ1

はは、たくさんお金使ったみたいですね。

でも一人旅はすごく考えることが多かったし、友達とまわった旅行もあほなことばっかりいって、あほなことをいっぱいやって楽しかった。

日本からの訪問者も当初はゼロだと思われていたのに多少は来てくれた。みなさんありがとう

またシリアにも家族ができた。

先日も訪問して、帰り際に

「じゃあまた来るね」ってシリアのユバー(ベドウィンは父親をこう呼びます)にいったら

「いつでも来なさい、ここはもうお前の家なんだから」だって


おとうーーーーーーーーーーさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!

いやあ、ありがたいね。人間ってあったかいね。

たすくはみんなに支えられて生きてます。


あ~、くせ、くさすぎるよ。

てことで違う話

レバノンでのコースがいまシリアに帰ってきてます。

やることがありません。

毎日オールドシティーをぶらぶらし、カウチに座り、何をするでもなくアザーンを定期的に聞いています。

俺はこういう生活を求めていたんだなあ~。

としみじみ思う。

でもこのままでは日本のスピードの速さに取り残されてしまう。

てことでそろそろ日本帰ります。

でも帰ったら当分、神隠しにあうので探さないでください。

でもみんなからの暖かいお帰りメッセージ+お帰りなさいパーティーのおさそいはいつでもウェルカムです。

最近、日本語をしゃべるとルー大柴みたいになってきました。

ネバー、マインドだよ。バレーハー

さて天気がいいのでお散歩にでもいきますかね。

see you guys

2009年12月5日土曜日

少し真面目に考えてみました

来週の最終テストのため勉強をしなきゃいけないのに卒論を何について書こうかな?っていまさらなやんでいます。

まあ10中8、9はレバノンについては決定ですけど・・・

さてさて、同級生が次々と進路を決めていく中、のんびり屋さんの僕は相変わらずです。

そして、今ひまなので世界のことについて考えてみました。

なんか世界って不公平ですよね。

日本にいたらあんまりわからないけど、お金の量が世界で決まった数である限り、お金持ちになろうと思ったら誰かからとらないといけないわけですよね。

今、日本を含め「先進国」と呼ばれている国は他国、特に貧困国からお金を搾取していい生活を享受してるんですよね。

別にそれ自体を批判するつもりは全然なくて、貧乏でも幸せならいいと思うんですよね

現にいろいろ旅をしていると日本人の感覚からは貧乏に思えるところでも、大人も子供もみんないい笑顔をするんですよね。

そしてこんなお金をちゃらつかせて旅をしてるような日本人にもお茶にさそってくれたり、できるかぎりのもてなしをしてくれようとするんです。

日本で誰かそんなことしてる人いる? 

あと彼らの主要な楽しみは人との会話なんですよね。でもそれってパソコンとかの暇つぶしのたぐいよりよっぽど楽しいと思うんですよね。

やっぱ人間、人と人がつながって生きているんだなあ~、て思い知らされるんですよね。

幸せっていうのはある意味、自分の状況に満足することなんじゃなかなって思う。

先進国の住民にはニンジンが目に前にぶら下がっててそれを追い続けさせられているところがある。

もしかしたら彼らにはニンジンがないのかもしれない「かわいそう」と思えるかもしれないけど必ずしもそうではない。

家族が幸せに暮らせるための最低限の収入があればいい

そういう風に考えられたら別にいいんじゃないかと思う


でも僕が言いたいのは先進国が搾取するがためにそこの何もかもを破壊する行為は許せない。

それを代表するのは戦争なんだと思う。

今、世界では大国の思惑なしでは戦争は行われていない。

弱小国の内戦にしても大国の利益が必ず絡んでいる。

でもいくら自国民の利益のためといっても人を殺してまでお金を手に入れていいの?

って思う。

僕のスタンスからすればお金で解決できるのならまだましだと思う。

それは僕がそこそこの少しアカデミックな家庭で生まれ育ち、十分な教育を受けさせてもらい、お金には不自由したことがないからかもしてない。

でも戦争で命が奪われたり、過剰な植民地的な搾取が行われるため餓死することは最悪のことであることは確かである。

昔は将来は日本に役立つ仕事をしてお金を人よりも得たいと思っていたけど

最近、そういった悲しい現実にすこしでも手をさしのべてあげられる人間になりたいと思っている。

だいぶ偽善的であるので述べておくと私は最高の利己主義者であることを自負している。全ては自分が気持ちよくなるためにしていて、自分に最高の利益が得られるために生きている。


でもそのことはこのことがらと相反しないと思う。なぜならそういった人を助けられることで自分の気持ちが満たされ、幸せを感じられるならそれが最高の利益になるからである。

今でもお金持ちになりたい。でもそういう現実に気づいた人が何かをしないといけないという気持ちがある。

そのためにはまず勉強しなければいけないし、もっと物事を知って考えなければいけない。

今、思い返してみれば受験勉強を真剣にはじめたある出来事がある。

誰も覚えていない、ささいなことだけど古文の授業中、先生が

「日本の受験システムは俺もおかしいと思う、でもなそれを変えたかったら今のルールに乗っ取ってかえるしかないんや。物事をおかしいと思って変えたかったら勉強しろ」

と言われたことを今でも覚えている。

そのとき「なるほど」と思っていたけど今でもその通りだと思う。

少し文脈は違うけどそれはどんなことにも精通することである。

私は少し人間関係が苦手で社会性にかける人間ではあるが人の役に立てる人間、具体的にいうなら世界の不公平をなくすために少しでも役に立てる人間。

そういう人間に私はなりたいと思う。

じゃあトルコのことでも・・・

書きますか、明日授業ないし、休みやし。

さてさてトルコ、いってまいりました。

よかったよ。

なんかほんとに「リフレッシュ」ってな感じで


さて、イードルアトハーのお休みのため金曜は授業がなく

サンクスギビングというアメリカ人たちのおいわいのためにターキーを食べて、アンミーヤの授業に出た後、すぐに旅立ちました。

目指すはシャウルッヘロウというアレッポ行きのバスが出ているバス停

時刻はすでに午後4時

まあ俺の旅のスタンスとしては基本的な移動手段は「歩く」ことなのでバス停まで荷物をかついで歩く

着いたのは5時

幸運にも5時半出発のアレッポ行きのバスが存在し、乗り込むとそこにはシリア人の出稼ぎ労働者と思われる、僕が今住んでる地域ではほとんど見かけないような雰囲気を醸しただしてる人たちで席がいっぱいだった。

席につくといきなり横の薄汚いシリア人がちょっかいを書けてくる。

めんどくさいので無視

まだちょっかいをかけてくるので

「俺はアラビア語話せるけどお前のような奴とはしゃべりたないねん」っていってやりましたが、その後も後ろから前から好奇の目が向けられることに・・・

まあそりゃそうやんな。外人さん1人しかローカル路線にのってたらそりゃあ好奇心旺盛なアラブ人の心に火がつくことはいなめないよね。

てなかんじ国境に到着、めちゃくちゃシリア人はならんでたけど日本人様である僕は外国人用窓口で優先的に処理してもらいちゃっちゃと終わる。

でもいつもはすんなり通れるはずのシリア側国境でビザを買う際、外人になれてないオフィサーが手こずりバスの人々をまたせるはめに

てなことでアレッポには2時半到着

宿を探し、泊まることにしたけどトルコ行きのバスを探すためにバス停に

すると「5時半に出発するよ」って言われ、とまることをやめ、急遽バスに乗り込む。

国境はすんなり通れてそのままアンタクヤという昔、5大総主教座の1つがおかれていたまちへ

時間がないのでそのまま目的地、ディアルバクル行きのバスにのりこむ

バスから見える景色はシリアとか中東諸国とはまったく違い、土地の豊かさや自然が全面にでてるかんじ

そして、ある休憩中にトルコ人の青年に話しかけられる

where are you from?

トルコで聞いた初めての英語

そしてしばらく話しているとチャイをおごってくれた。

バスにのりこむ、すると「俺の横にこいよ」的な英語かトルコ語かわからん言葉で誘われ、行くことに・・・

イスラム教のサイトをめちゃくちゃ進められたが、旅に必要なトルコ語を2、3個教えてもらい、彼とは1つ前の都市でお別れ

ベイルート出発から25時間後やっと目的地についた

そして、スーパーローカルなバスに乗り込み、英語もアラビア語も通じないので降りる場所もわからず目的地を連呼

そして、みんなやさしく身振り手振りで教えてくれる。

着いたら着いたで、ホテルの場所がわからず地図を見ていると見知らぬトルコ人がトルコ語で

「なに?こまってるの?」的なことをすれ違いざまに聞かれ、地図を見せると

「つれていってやるよ」的な雰囲気をだされ、また英語でwhere are you from?

まあ結果間違った道につれていかれたんだけどね。

そのあともあるトルコ人に場所を教えてもらい、無事到着

宿代は6ドルくらいでシングルなのにベット3つに部屋のど真ん中にストーブがおいてあり、薄汚いかんじ、でも宿のおじさんはアラビア語が話すことができ、しばらく談笑。あっ!あとそのとき今晩その宿で私が唯一の客であることが判明、はは

間もなく、ご飯を食べるため、街に繰り出す。

そう今回の旅の本当の目的は「くいだおれ」

朝からビスケットしか食べてなかった割にはケバブでおなかいっぱいになってしまったけど念願の羊の骨を煮込んだスープ、パチャをその後詰め込む。

そして朝がはやいので就寝

なんか人って暖かいよね。あと言葉がはなせるって大切なことだよね。

てなことで続きは気が向いたときに、チャオ

2009年12月4日金曜日

気づけば・・・

気づけば1ヶ月完全に放置してました。

ファンの方々、大変もうしわけない。自分でも驚いてたところです。はは

この1ヶ月いろいろありました。思わぬ訪問客がきたり、体調崩したり、勉強する気がなくなったり、トルコいったり。

でも今日は遅いので明日、明日インシャアッラーフ

まだ明日の授業の宿題すら終わってないや。

では

2009年11月1日日曜日

はろうぃーん、かりーむ

はっぴー、ハロウィーン

みなさま、ハロウィーンですよ!

何かに変身されましたか?

僕はアメリカ人どもに催促されましたが拒み続けました。

なんてノリの悪い日本人なんだ!

と思われていることでしょう。

さてさて、気づけば10月も終わりですね。
(そうですね)

みなさん近況はいかがですか?
(そうですね!)

最近ベイルートは雨ですけど、明日も雨らしいですよ。
(そうですね!)

アラビア語科の方、某大阪大学アラビア語非常勤講師が私の勉強しているところに視察されにいらっしゃるらしいですよ。
(そうです・・・・・・、えっっ??)

ということで、アンフォーチュネットリーにいらっしゃるらしいです。

しかもその先生のためにお茶会が開かれるらしい・・・・

くそーーー!!いらんことしあがって!

帰って報告されたら俺のアラビア語のレベルばれてまうやろがい!

なんて神様というのは意地悪なのでしょうか。

いかん、いかん。後輩方が見られているのにこんなだめだめなことを全面に出しては・・


気を取り直して、「アラブ人の男はなんてレベルが低いのでしょう」という話をしましょう。

まあ、ビシャックリン・アームの話ですので。

私が今、いっているところはレバノンでは指折りの私立のはずなのですが、なんとも男子学生の知能レベルが低いのです。

5分話すとすっかり友達気取りで外でも平気で下ネタを話し出す。

自分の話ばっかりして人の話を聞かない。

英語がうまくないやつでもアメリカのギャングみたいな話かたをして聞いてる方はおもしろい。

ねちっこい

などなど

ときどき、あほな男子校の中学生としゃべっている気分になってしまう。

まあ言いたいことは

レバノン人男性諸君、もっとがんばろうぜ!

ってことなんですよ。

このままじゃあ国が衰退していく一方だぜ。

だってみんな英語かフランス語で教育をうけているから少しかしこかったらアメリカかカナダの大学に行ってそのまま帰ってこないってパターン。

大変ですよね~。

あなかしこ

そういえばこんな古文の用語があったような。全然この状況に意味は合わないですけど・・

そのことから一つ今日気づいたことがあります。


実は日本人の語学力の低さが日本という国の発展に大きく貢献しているのではないか?ということです。

テレビなどでは「世界で活躍している日本人が少ない」と日本の教育を批判していますが考えてみてもくださいよ。

「世界で活躍すること」必要ですか?

数学、理科、英語できたら海外に留学に行くでしょう?

でも英語できへんかったら一生留学行こうなんて思いませんよね?

そして日本の一流大学と呼ばれるところへ行き、日本の一流企業に就職することを夢見る。

それが日本の知能の流出を止めていて、世界に誇れる製品を作り出しているんですよ。

たまには全てのことができるレアケースの人間が存在し、そんな奴が留学して海外から知識などをぱくってくればいいんですよ。

あ~、なんて内向きなんだ俺って~。

でも日本という国の発展を考えるとそっちの方が断然いいわけなんですよね。

ということでやめましょう、英語を話そうという努力

受験英語で読み書きさえできたら日本国内での人生なんとかなるもんですよ。

あっ!気づきました?

タブアン、実に自分への言い訳が含まれているわけです。

でもこのことは事実でもあるとおもうんですよね。

う~ん、初めてだ。まとめ方がわからんくなったぞ。


あっ、三遊亭円楽さんの冥福を心から祈っています。
あなたも偉大でした。小さいときから笑点ッコだったのでこんな異国の地であなたの特報を聞くなんてとっても寂しい気持ちになります。

さよなら、アッラマアク

2009年10月28日水曜日

お知らせ

誰か私のブログを教えてるやついるな!!!!!!

そんなことをあからさまにされるとブログの内容をよそ行きように変えて過去のを全て削除することになりますよ!!!!(一様私にもプライバシーが存在しますので)


タスクはハッラー、シュワイ、ザアーラーンですよ。



シリア留学を考えている人にお知らせです。

シリア留学の詳細について知りたい方はメールでだけお答えします。

私のメールアドレスはあるアラビア語教師が返事も返さないのに教えまくっているはずです。

あと情報を共有できる場合は申し合わせの上、代表して誰かが質問をしてくれると助かります。


私も留学するときにとても不安だったことを覚えていますので、できる限りのことはお答えしたいと思います。

しかし、あなたたち個人にとっては重複する質問でなくても、体が1つしかない私(レバノンのアメリカ人の間ではもっぱらタスクは二人いるという噂ですが・・・)にとって同じ質問を何度も答えるのは正直気持ちのいいものではありません。あしからず。


別に私は怒っているわけではありませんよ。

質問をしたい方はガンガンしていただいて結構です。


ここで1番最初のメールに書いておくことを申し上げておきましょう。

1、あなたが何処の誰か書きましょう。個人情報がしっかりしているとアドバイスがしやすいです。

2、留学の目的、あなたは人としゃべりたいのか、それとも学者になりたいのか。

3、質問したい事項を簡略化し、できれば箇条書きで書いていただけると答える方としてはありがたいです。


「ブログによくされる質問を書いてくれたらいいじゃん。」と思われるかもしれませんが、あえてしないのは私の主観が混じる場合もありますし、ブログを読んでいただいている私の友人はシリアの留学の詳細(語学学校の種類とか)に興味をもって読んでいただいてる訳ではありませんので。

まずは留学するかどうかから検討しましょう。中東は脳天気じゃないと非常に暮らしにくいところです。

私はみなさまに中東を愛していただきたいだけなのです。

こんなところです。

決して私は恐い人間ではありませんからね。

おい、友人ども、それをコメントで証明してくれ。



そして私の近況ですが、アンミーヤとフスハーが頭を入り乱れてもう意味がわかりません。

あとレバノンでダイソーを見つけてめっちゃテンションあがりました。でもここのダイソー全部2ドルなんですけど・・・  いうてみたら200円ショップやん!

でも買っちゃいました。

あっ、それと高い金だして海沿いに住んでるんやからちょっとセレブっぽいことを始めようと思いたち、海沿いをジョギングしてみました。

息の切れかたが半端ねえ

としですねえ~。20越えると老いかたがすごいわ。

2009年10月24日土曜日

やーあっらーふ

ちわーす

最近妙に日本語忘れてきています。

さてさて、こっちでの生活も普通に感じてきて、少しずつシリア方言(といってもそんなしゃべれんけど)がレバノン方言にかわりつつあります。

まあ、否定のムーとムシュの違いくらいなんですけどね・・・・

勉強の方は自分のバカさ加減に毎日飽き飽きしています。

一度覚えた単語なのに、また辞書を引いたりしている・・・


あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!

と思いっきり発狂して、誰かを日本語でまくしたててやりたいが誰も日本語を理解しないという現実

完璧に俺はアジュナビーなんだなと思う今日この頃


そんなレバノンに来てから気づいてショックだった自分のハビットを二つほど紹介しましょう。

まず1つ目

女の子に不意にさわられると

ビクッ!!!!

ってなってしまう。

未だに男子校気質が抜けてないとは・・ なんとも情けない。

あっ、あと肩を組むとかハグとか挨拶にキスとかやっぱ自然にできない・・・

腰に手を回されても、こっちからは巻き返せない・・

これは私が日本人だからなのか、それとも私個人の問題なのか。


そして2つ目

今日、ルームメイトに言われたのだが

俺、昨日、日本語で寝言いってたらしい・・・・

オーノー ヨウコ

自分の寝相の良さには多少の自信を抱いていたのだが、見事にうちこわされました。

日本では1人部屋で寝ていたためきづかなかった事実

ショックです

日本で寝言をこきおろされていた方々に深く反省して謝罪さしていただきます。

どうもすいませんでした。


う~ん書くことがないとこんな内容になってしまうもんなのですね。


まあ現在の生活をまとめると

毎日、大学と家を行き来するような変化のまったくない生活をしております。

以上


あと、男子諸君、レバノン人女性は噂通りきれいですよ。

でも美容整形が以上に多い

整形している女の子はみんな「故マイケルジャクソン」みたいな顔になるみたいで、そっくりな人がちらほら

最近思うのは実はレバノン人露出が高いだけなんじゃね???

という密かな疑問が・・・

いずれにせよ一度来てください。

てか、誰かはよこ~い!!!!

日本語しゃべろ

2009年10月18日日曜日

人生ってたのしい

今日はヤウムッサバト(土曜日ね)

なのでコース開催のツアーがありました。

「なので」っていわれても

はあっ????

って感じですよね。

ここで説明しよう

土曜のツアーとはコースに含まれているレバノン国内ほぼ全部観光につれていってくれるツアーのことであーる。


っでいってきましたよ。

ジュンブラート御殿とバールベック神殿・・・

まずジュンブラート御殿


ここで説明しよう。

ジュンブラートとはレバノンのドルーズ(イスラム教の一派)のリーダー(ザイーム)でレバノンの主要な政治家の名前であーる。

彼の家族は代々政治家でドルーズの票を全て握っている人物だ。

ちなみに彼の政党の名前はPSP(進歩社会党を英語にして頭文字をとったらこうなります。)

お前はゲーム機かっ!!!

ってキレのないつっこみをしてしまったところで本題に

実はアンミーヤのクラスの先生がドルーズでジュンブラートとコネクションがあり、お話を聞かしてもらえることに・・・

実はすげっー楽しみにしていた。

だって「小沢一郎と明日あうねんで!」

って考えたら興奮しない?

あれ?

しない?

まあいいや。僕にとってはそれがメインだったわけです。


険しい山道をのぼっていくと場所ににつかず、物々しい館が登場

そう、それが彼の通称「ジュンブラート城」

彼は山(ドルーズばっかりが住んでる山)にある家では土曜にドルーズの人々とのミーティングアワーをもうけており、誰でも彼と会うことができる。

検問所から少しあがると本物の中世の城が登場

左手には居住区、右手には個人の図書館・・・

まずはジュンブラートさんに挨拶するために居住区へ、客間にとうされると彼は意外と安っぽい椅子に座っていた。

格好はとってもカジュワル

彼と握手し、みんなが着席。

みんな質問を繰り出すタイミングをつかめず、沈黙アワー・・・

突然、イギリス人が現在のレバノン政治についての質問をした。

ぶっきらぼーに答える彼

あるアメリカ人がやばい質問をした。

ぶっきらぼーに答える彼

そろそろ、頃合いかなあ~と思い、僕が質問

割とレバノンの安全保障について興味深い彼の意見が聞けた。

そして、あるアメリカ人とレバノン人のハーフが一番やばい質問をアラビア語でやった・・・

ちょっとキレ気味で返す彼。他のアメリカ人はアラビア語を理解してない

そして、質問アワー終了

後から聞いたら彼、相当つかれていたらしい。


その後、彼の図書館を散策

500年前の本や、彼の切り抜いた記事を見せてもらった。

ちょう興味深いんですけど

まあいい経験させてもらったわ。



バールベックもおもしろかったよ。

クレオパトラが彫られた彫刻などがあった。なんかクレオパトラに差し上げられた都市らしい

ということで今日は目が疲れてきたのでこのへんで

まーさらま、まーさらま、まーさらま

2009年10月10日土曜日

メルシー、キティール??

ちょっとブログの更新が遅れるとみんなから催促のようなことをされるのでおへそを曲げてみました。

さてみなさんキィファック?

僕はハンドゥリッラーフです。

レバノン人はこのようなアラビア語の使い方をします。

例文

ボンジュール

マルハバ

サバ?

シュー、アフバーラック?

ソーリー

これが普通の挨拶

何処の国やねん!!!

ってつっこみたくなる。

あとレバノン人同士がしゃべってる急に英語の文が聞こえてきたりしてもう大変

1人が普通にアラビア語を話していて、もう1人が英語で返事してることなんて日常茶飯事

まるでレバノンポンドで払ったのに米ドル(レバノンでは米ドルが普通に使えます)で返されて、あれ??

っと思ってしまう感覚とよく似ている。(これも普通に行われてることですがなにか?)


いびつだ。

この国


今、政治の勉強もちょっとしているのだがとってもいびつ

経済もいびつ


でも時々、俺って変態やな~と思うことが多々ある。

それはいびつなものに妙な美しさを感じてしまうのだ。

この話はおいといて。


リクエストに応じてレバノンでの生活について話しましょう。

と思ったけど俺の生活は単調なので却下します。

でも悪あがきとしてサマリーを提示するとしたら

朝起き、授業にいき、きれい?なチューターのお姉さん方としゃべり、インターネットを満喫して寝る

ということの繰り返し、

最近、アメリカ人としゃべることは苦ではなくなってきたけどやっぱジョークをとばすのは難しい

といったところでしょうか


ちなみにCNNかロンリープラネットの調査でベイルートは世界一のナイトライフが味わえる都市らしい。

それに乗じてアメリカ人様方は大変満喫されている模様です。

まあいんきゃらの俺は行く気にもならんのやけど・・・・


あっ!あと勉強のことについて書きましょう。

新しいクラスできました。

3人だけのために

でも俺以外の2人はかわりばんこで休んでくれるのでカテキョみたい

らき、らっきー

そして先生も基本的にはオールアラビー、ハンドゥリッラーフ

使ってる教科書は今あめりかで主流の「アルキターブ」という教科書

誰もオレンジブックの存在すら知らんぞ。

でもアラビーの先生によれば文法解説の面ではオレンジブックは最高らしい

しかし、問題はアメリカで入手不能なことにあるらしい・・・・

日本であんなに簡単に買えるのになぜ?????


あと週一の政治科学の授業はとてもためになるし、とってもおもしろい。

週2のアンミーヤの授業はあんまおもしろくない、先生がなんか勘違いしてて俺がアンミーヤしゃべれるように思ってるみたい。

いや、アンミーヤなんて知りませんからね

そしてシリア方言を使うと先生に訂正される・・・、先生、アンチシリア派らしい

ここまできたら意地でもシリア方言で押し通します。

最後に

1ヶ月もいるとレバノンになれてきました。でもシリアがやっぱり懐かしい

ここにいると心の平静が保てないというか・・・

でも政治情勢はとても魅力的

あっ!聞いて、聞いて

来週の土曜にレバノンの有力政治家に会いに行くことになりました!!!!

ふーーーーーーーー!!!

でもワクワクしているのは俺を含め2人だけ

紙面を1週間に3回くらいかざる政治家なのに他のアメリカ人どもは

「はっ?だれそれ??」

ってくらいの反応

おい、わかってるのか??このばかちんどもめがーーーー!!!

っといってやりたいくらいだけどままいいや。


ひさしぶりに日本語を長時間使ったので体系だってない内容になってすまん。

今度は内容がないようなんて言わせないよう。

ベイルートも肌寒くなってきました。もう秋ですね。

まあさらーま

2009年10月3日土曜日

あっ!もう・・・

はい、みなさん

10月ですよ!日本でも10月なんですかね?

一様こちらではタムリーンアッワルといいます。エジプトに留学していた。あるいはされている人たち、こちらでオクトゥルバルなんていうと

はあ?????

って顔されますよ。

ちゃんとレバノンではオクトーバととてもきれいな発音でいいましょう。

さてさて、移住して1ヶ月が過ぎました。もう日本語忘れてしまいそうです。

特に何をやっていたかと問われたら

別になにも・・・

まあアメリカ人の観察ですかね。

ってことで観察経過を報告しましょうか。

ちなみに今、アメリカ人2人と同居してます。

俗にいうルームメイトってやつですかね。

彼らは毎日シリアルを食べ、ありえないピーナッツバターをパンにぬりたくります。

てか、イチゴジャムとピーナッツバターという日本人なら即糖尿病になりそうな黄金コンボを繰り出す今日この頃です。



さて、このまま行くと彼らに対する愚痴になってしまいそうなのでやめましょう。

まあ簡単にまとめると世間知らずのちょっと頭の悪いアメリカのカウボーイのボンボンって感じですかね。

ちなみにここにいるアメリカ人はとても勉強しません。

だって先生たちが英語ペラペラで困ったら英語でしゃべりだすからね。

あ~あ、ダマスのアメリカ人を対面させてやりたいぜ。

といっても始まらない。

英語のレベルは少々伸びた気がします。アメリカの大学院生のためにデザインされたクラスに週1で出席してるねんけど、アメリカ人が続々と脱落していきます。

みなさん、英語力をのばしたかったらベイルートですよ。

あっ!そういえばイードルフィトルはダマスのベドウィンの家族のところで過ごしました。

また特別な感じで楽しかった。

のんびりできて、いい充電になりました。

イードってどんな感じかみんな知りたいですか???

今回はホントにリクエストがない限り書かないと思います。

だってめんどくさいんだもん

では、オヴァ

2009年9月16日水曜日

あげあげ

昨日、ベイルートで初めてテンションがあがる出来事が・・・

夜、やることがなくて散歩でもしようかと思い、スーパーへ

別になにも買うつもりはなかったのだが食料品のところに自然と足が向かいました。

そこで奇跡の出会いが



「みりん的」


と日本語で書かれてラベルがふと目につく

おおおおおーーーーーー!!!!!!!!!


ダマスで割とがんばったのに見つからなかったみりんがこんなところにーーーーー!!!

別に「みりん的」と書かれていてもかまいません!

みりんの味がすればいいのですよ。

でも購入はしませんでした。

だって実は使わないかもしれんし・・・

もうちょっと熟考してから買おうと思います。


そういえばそのスーパー、パックに入った小麦粉も売ってるし、泡立て器も売っている。

僕の部屋にはオーブンはないけど上の部屋には着いてるから週末はケーキ造りができる!!!!


ハンドゥリッラーフ

ダマスとは偉い違いだ。

さすがラグジュアリーだ

老後に最適だな。


勉強にむかんわこんなとこ

でも先生が俺のために特別クラス用意してくれるらしいからそれは楽しみだ。

2009年9月11日金曜日

ラグジュアリー

アハレーン・ワ・サハレーン

どうも僕です。

レバノンに来て早、1週間

















レバノンくそやな

もう英語、フランス語でみんな小学校のときから教育を受けてるから(公立も)英語みんなペラペラ、でもアラビア語よめへんやつめっちゃおるらしい・・・

あ~、日本帰ったら鬼のようにアラビア語できる同級生たちが待ちかまえているというのに、そんなにレベルの高くないアメリカ人とともに勉強してる俺って・・・・


まあええわ。別に俺アラビア語もともとできるわけでもないからな~。

といじけてみましたが、みなさんお元気でしょうか。

僕はいつもタマームです。

最近、アラビア語の能力よりも自分の英語能力の思わぬ低さに驚き、桃の木、山椒の木です。

あ~あ、シャーム(ダマスの別名ね)にカエリテ~

とプチホームシックです。


でも俺の得意技は現地適応能力

もう、この生活になんだかんだでなれてきたぜ!!!

ダマスでは誰も俺のアラビア語をほめてくれなかった(てか「下手だな~」って面と向かって言われてたし)けどここでは外人がアラビア語しゃべってるだけで「うまい!」ってみんな絶賛だし

へへっ

いや、でも自分の状況を一番わかってるのはやっぱり自分で、レベルが決して高くないことは一番よくわかってるんだよね。

勉強時間は格段に減ってるし、アメリカ人酒ばっか飲んでるし。

悩みの種は尽きません・・・


こんなとこでどうですか?

皆さん、私が今、苦労してるようにおもってるでしょう?

してますとも、英語にね

てことで、リクエストはありませんでしたが懐かしき我が家を思い出すために結婚式のことでも書きますかね




人生、2度目の結婚式出席が新郎も新婦も知らないベドゥウインの結婚式になるとは誰が予測できたでしょうか。

夜に到着し、次の日の朝に

「今日結婚式あるから一緒にダブケおどろうぜ!」

とさそわれる。

ここで間違いが1つ。

普通、先に「結婚式に行く?」と聞くだろ!

何となく家族の属性が見えてきた

ちなみにダブケとは日本で言うマイムマイムのようなものだ。

金曜(結婚式は金曜ど土曜の2日間行うのがベドの常識らしい)だったのでおじいちゃんが礼拝を終えた後にみんな支度をはじめる。

お母さんたち、顔の色と、少しかいま見えた首の色が全然違う・・・・

そして、3時頃、やっと息子のバスに家族全員を乗せ、出発進行!

会場につき、男女が別々の場所に行く

男性の方は真ん中に櫓がたっていて、そこから電球がいっぱいついた電線がのびていてまるで盆踊りか、運動会の会場のよう

ついて椅子に座ってると一緒にいたおじいちゃんの息子にみんな挨拶にくる

聞くところによると、会場にいるのはみんな親類でイラクやヨルダンから結婚式のためにわざわざくるらしいのだ(2日開催するのはそのため)

ゆうに1000人はいただろうか

しばらくするとご飯に呼ばれた

羊とグリンピースの炊き込みご飯としゃばしゃばのヨーグルトにキュウリが入ってるレバンというものを食べ、しばらくボーとするとマイクをもったおっさんがなんかしゃべり始めた。

耳を立ててみた・・・

う?ううう?

あれれ?金額の発表をしてるよ?

そう、日本人としてはありえないことなのだがご祝儀をその場で発表するのだ。

「~家、2000レラ」

って感じで

そのことに驚きを隠せずに、炎天下の中、数時間するとバラの形に固めて、ラメがまぶしてある前髪を保持する新郎が到着し、まちにまったダブケが始まる。

少しようすを見てみた・・・・

思ったよりムズイ

そしてさっきまで金額を発表していたお兄さんが突拍子もなく歌い始めている・・・

ということで覚えよう(ダブケを)と思い2時間凝視

日も傾きかけ、唯一の外人である俺にみんな興味津々だったため数人が俺を誘いはじめた

最初は断ったが、何事も経験だと思い、

ヤッラの精神で参加

全然できなかった・・・

そして終了


どうですか?興味深いでしょ?

誰かベドウィンの研究をするつもりはないですか?

今度のイードにまたまた里帰りするつもりなので全面的に協力しまっせ

てことでヤッラばーい

2009年9月5日土曜日

里帰りリターンズ、そして・・・

やっぱ旅立つ最後の日は家族と過ごすでしょ~。

ってことで帰りました。

どこへ?

もち、シリアのベドゥウィンファミリーのもとへ

今回もかなり遅く、家を出たつもりだったけどイフタールの前にはついてしまった。

ということで、村でおみやげ購入

ご飯を食べ、子供と遊び、またまた遊びに来た村長と話し

そして今日のそのときがやってきました。

家族とのお別れ・・・・

おじいちゃんはもう完璧に家族扱いで挨拶のため唇に口づけされました。

そして、おじいちゃん、おばあちゃんに玄関の先まで見送られ、またまたおじいちゃんに

「またくるんだろ?な!また、くるんだろ!」

と言われ、

「うん、必ず帰ってくるさ、インシャアッラー」

と言い残し、割とあっさりした別れでした。

てことで今、レバノンにいます。

すっげー、ホテル暮らしみたいなとこで日本でいうなら「銀座」のど真ん中にいる感じです。

横にはなんか高級なレバノンのなかでも、指折りのすっごい高級ホテルがあるし・・・・

シリアから来たからカルチャーショックがとてつもなくでかい。

なんか環境適用できずに死んじゃいそうな感じです。

お前は変温動物か!!!!

って感じですよね(あれ?わからんかった?)

いや、でもこれは日本へ帰る前のリハビリと考えた方がいいのかも

いや~、マーシャアッラーですよ。

しかも全然予想してなかったねんけど、いまのとこ俺以外、全員アメリカ人なんですけど・・・

また英語がうまくなるばっかりやな。てへへ

いやいや、アラビア語って話ですよね。

がんばりまっくす

でもレバノンはどうも貧乏たれた僕の肌には合わない感じです。ちょっとやってもうたかもな。




う~ん、今回もおもしろくない・・・・

ってことで今回も付け加えますか・・・

皆さんベドウィンの結婚式って興味ありますか?

しかも男側を皆さん知りたくないですか?

てことで自分のブログを見て、コメントもできる自由の国レバノンに来たあかつきに誰でもアカウントなしでコメントをカキコできるようにしときました。  イエ~ィィィィ!!!!フーーー


ということで最近さみしかったし、裏技が国の方針によって遮断されたため、またまたコメントを見れなかったコメント欄に要望があれば書こうかな~。

皆さん、私の暇つぶしにどうぞつきあってくださいな。

まあ、何でも書いてください

では、今日はこの辺で

さよなら、さよなら、さよなら

(お前は淀川さんか!!!!! あれ!これもわからんかった?しまったジェネレーションギャップップってやつか)

2009年9月4日金曜日

第1次里帰り

1人になったさみしさのため、里帰りしてきました。

ラマダーン中にもかかわらず・・・

本当はお菓子を持って、ご飯を食べ終わった後くらいに

「みんな!お菓子の時間だよ~!!!!」

って感じで登場して、みんなの人気者になろうとしたのに

あろうことか早く家に帰りたいセルビスの運転手さんの奇跡的テクのおかげでいつもより早く着いてしまった・・・・

しかも、セルビスの中でたまたま、おじいちゃんの息子にあってしまったために時間をつぶすこともできず・・・・

そのまま子供たちに発見され、騒がれ、家の中へ・・・・

イフタールのちょっと前に・・・

ほんと迷惑なやつですよね~、すいません。

まあでもイフタールをごちそうになって、のんびり家族との時間をすごしてると

いつも通り、村長がうちの家にくるわけですよ。

ほら、村長、自分の家ではみってるし、彼の家、嫁姑戦争、勃発してるから友達であるおじいちゃんのところに夜の1時くらいまでいるわけですよ。

そして案の定、深夜までのたすくちゃんによる日本語レッスンが行われたわけです。

そのおかげでダマスに帰る気持ちはちょっとあったのにセルビスがなくなったので泊まることに・・・

「まあいいや」と思い、農村のラマダーンを観察していくことに

夜3時の出来事です。

ドンドンドン!ドンドンドン!ドンドンドンドンンドンドンドンンドンンドン!

すさまじい勢いでドアをたたく人が・・・

いや、別に不審者とかじゃないんです。

私が普段住んでるところでは太鼓をたたいて最後のご飯を食べそびれないために起こしてくれる親切な人がシリアにはいるのです。

田舎は家が大きいのですごい勢いでドアをたたいてくれるのですが、数軒離れた家のドアをたたく音まで聞こえるのです。

ちょっと、3時のご飯にさそわれないかなあ~

と淡い期待を抱いていたのですが、

「お前は起きなくていいよ。寝てろ、寝てろ」

と家族に言われ、見れずじまい・・・ プンスカ

でもなんとなく感じがわかってよかった。

今回感じたことなんだけど、ラマダーンってアラブ人をだめにしてないか?

いや、全員とはいわんけど

彼ら夜、がっつり寝てるし

我慢してた分、普段よりあり得ない量のジュースを飲んでるし

ご飯も夜、3時に起こされてそんながっつり食べれるはずないし

それで暑さのため、お昼間ずっと寝てるし

一言で表現すれば

怠惰

だよ。まったく

まあいいっか、俺、一生やることないと思うし。



で別れの朝の話をしましょう。

早起きしてしまったのでいつも通り、おじいちゃん(彼は家族で2番目の早起きさん)と並んで座ってしゃべっていました。

おじいちゃん「今日、ダマスに帰るのかい?それともここにもう一泊していくのかい?」

僕「帰るよ」

おじいちゃん「いいや、お前は帰らない。」

といつもの決めつけクエスチョン

僕「ほら、僕、ダマスでやることいっぱいあるからさ」(別にないけど・・)

お「そうか・・ 夕方に行くのか?」

僕「う、う~ん、朝に行くよ」

お「また来るのかい」

僕「そうだね。レバノンに行く前に一回くるよ」

お「イードには必ず、レバノンから帰ってきて3日ここで過ごしなさい!」

僕「休みがあるかわかんないよ」

お「いいや、ある!!!来いっていったらくるんだよ!!!!!」

とおじいちゃんのいつも通りの勝手に逆ギレパターン

仕方ないので

インシャアッラー

といって切り抜けました。でもあの話では行くことになってるよな・・・・

きっとキリスト教系の大学だからイードとかねーし!

おじいちゃんごめんよ。

てことでマーサラミヤーハンマーミー

2009年8月28日金曜日

そして誰もいなくなった・・・・

昨日、ダマスに来ていた父が旅立ちました

日本にね

9月前という時期の問題もあり私が親交をもっていた人はほとんどダマスから消えました。

なんかさみしいよね。

ということであんまりくさいことは好きではないのですが、人の出会いについて書くことにしましょう。

最近感じていたのですが人と人の出会いってほんと不思議だと思いませんか?

今回のシリア農村ホームステーでもそうです。

今回は某大学様の調査に便乗させてもらったため、その人たちが帰る前に挨拶をしにいったのですが、

うちのシリアでのおばあちゃんが僕に言うわけです。

「ダマスではなにをやってたの?」

「元気だったかい?」

「おなかはすいてない?」(ラマダーン中にもかかわらず)

挙げ句の果てには

「早く村に帰ってきなさい!」

と言われてしまった・・・・

すごくありがたいし、こないだまで見ず知らずだった俺を自分の家に泊めてくれて、しかも今や俺の健康にまで気遣ってくれ、家族のように扱ってくれる(涙)

でも考えて見てください。

振り返ってみれば、某大学様のある男(今回、こなかったけど・・・)に今年3月、出会っていなければ私のシリアンファミリーと私が出会うこともなかったし、

私が2月の最後に留学へ出発していなければ、某大学のアル男と出会うこともなかったのです。

もう1越えすれば、私がシリアでの留学・・・、いや、アラビア語を勉強することを決意していなければ今回出会った人たちと出会うことはきっと1回もなかったはずです。

不思議ですよね~


今月はアラビア語の勉強における進歩はほとんどなかった(てかフスハー的にはすっげー退化?アンミーヤ力は微妙に上昇したけど)けどすっごく有意義に過ごせたし、楽しかった。実はシリアに来て一番充実した時間を過ごせたのではないかと思うくらいだ。

こんなこと書いてたら家族が懐かしくなっちゃったよ、シリアのね。

よし!明日くらいにラマダーン中だけど遊びに行こう!!!!!!!!

あっ!なんか俺らしくない・・・・・

へたこいた~!!!!!!

てことで今回もボーナストラックをつけるので皆さん我慢してください。でもちょっと下ネタ気味なので苦手な人はここでバイバイしましょう。

これはホームステー中のある朝の出来事です。

うちには「アフマドさん」というどうしようもなくおバカな2歳児がいます。

アフマドさんは2歳のくせに家族のなかでも早起きさんです(ていっても9時くらいだけど)

そんなアフマドさんにはある習性があります。

彼、なんでも自分の股間にいれてしまうんです。

先日もベルトを自分の股間にしまい込んでいました。

僕の常識ではベルトは腰に巻く物だったのに・・・ アフマドさんって斬新!フー!!!

で、そんな彼がある日やらかした出来事なんですが、彼、どこからか壊れたサングラスの枠を持ち出してきました。

そして、いつものように自分の股間に入れるわけです。

そこまではよしとしましょう。

その股間に入れたあとアフマドさんは股間の大きくなった部分(グラサンね)をおじいちゃんにさわらせ、そしておばあちゃんにもさわらせました。

二人とも「あ~、堅いわね~」的なことをいい、アフマドさんはその言葉に満足した面持ちで自然と横に座っていた僕のところに来て「さわれ!」っていってきました。

僕は優しいのでアフマドさんの行動にのってあげようと思いグラサンと思われる部分をさわりました。

するとアフマドさんは

「違う、違う。こっち、こっち。」といってきたのです。

仕方なくそっちをさわると、ぷにゅっとした感触が・・・・

そっちはアフマドさんのご本尊でした。

あ~あ、もう家族の一員として彼の未来が思いやられます。

この文章ってセクハラとかになりませんよね??

みんな俺を訴えないでね。

ハラース

あと、某大学のおつかれさんの人このブログ発見できたかな?




ちなみにダマスカスのラマダーン、全然楽しくない。

俺は不満だーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(おい!そこのお前、肥満と読み間違えただろ)

2009年8月21日金曜日

しゅうりょう

ベドウィン生活終了しました。なんか楽しかったわ。

あっ、どうも僕です。

晴れて私も22歳にようやくなれました。

私のようなものの誕生日を覚えていてくださった皆様ほんとうにありがとうございます。

ネットカフェで泣きそうになりました。

さてさて、ホームステイはネタの宝庫だったので書きたい話はいっぱいあるのですが、それはおいときどんな誕生日をすごしたのか興味はないですか?

あるよね、ねねね!!!!


ではまずは22歳を迎えた瞬間のお話をしましょう。

20歳のときから誕生日になる0:00にやっていたことを覚えようという密かな行事が存在するのです。

私は誕生日がくる1時間前から時計をちらちら見ていました。

その現場にいたのは約10名、26kgあるすいかをみんなでほおばっていました。

11:10 みんなはホブスというパンの値段に関する論争をしていました。うちの家は村のなかでもお金がある方(40型くらいの液晶テレビがある)なのに毎日、パンの値段、トマトの値段、ジュースの値段を「朝まで生テレビ」ばりに論争しちゃうんです。

11:40 なぜかサウジ王室の女性に関する論争に急転換

11:55 いつも通り向学心旺盛な村長が日本語の単語を聞いてきたので、めんどくせえと思いつつ、俺の日本語授業がスタート

そして、8月18日そのときがきました。

私は体の向きを変えました。

すると私の体から

「ぶー」

という高貴な音が・・・・

ふいに「アフワン」(「失礼しました!」的な意味)といってしまう

すると村長がとぼけた感じで「何がアフワンなの?」といい、ほくそ笑む。

するとみんな大爆笑

なんて忘れなれない誕生日になってしまったのでしょうか(涙)

誕生日を祝ってもらった編は次に書きます。

つづく

2009年8月13日木曜日

ほーむすてい

久々にダマスに帰ってきたので途中経過でも・・・

なんか濃いわ

色々、毎日ありすぎて困る

今、ベドウィンの大家族と住んでます。

毎日、アラビア語をしゃべるけどアンミーヤが全然わからないのでおじいちゃんとおばあちゃんとは通じあえない。

しかもみんな俺がアラビア語わかってると勘違いして最近、普通に話しかけてくるし・・・

あ~、毎日楽しいわ~。

結婚式もいったし

羊の放牧は行ってるし

羊の毛刈りもやったし

羊のリアル乳搾りも体験したし

今度時間のあるときにゆっくり書くことにします。

あ~、でも毎日筋肉痛です。

そんな僕を見かねた神様が今日ご褒美を与えてくれました。

なんと、シリアで1、2を争う高級レストランである「シャームパレスホテル」の日本料理店でなんと5ヶ月ぶりの日本料理を食べたのです。

おいしかっっっっっったーーーーーーーーーーー!!!!!!

だって揚げ出し豆腐が出てくるんだぜ

感動しちゃって、もうテンションだだ上がりだよ。

すごいおごってもらった人のこと批判的な感じでうけとめてたけど

彼が神様に見えました。しかも見ず知らずの大阪の少年にあんな高級料理をおごってくれるなんて心が広いのでしょう。

料理の内容は今度かくことにします。

ふう、書くことが多すぎてたいへんだよ。

めんどいから全部ばっさり切るかもしれんけど、それはそれでね・・・

インシャアッラー

2009年8月4日火曜日

目はほんとのまわるの?

暇から一転、毎日忙しく過ごしている今日この頃、みなさまお元気でしょうか?

僕おいそがしいです。

なにでいそがしいか聞きたい?



ほんとに聞きたい?


ほんまに、ほんまに、聞きたい?


ほんまに、ほんまに、ほんまに聞きたい?


教えてあげないよ(笑)




さて、このうっとうしいノリで読者の半分は脱落されたと思われます。

仕方がないので教えてあげます。

是非読んでください。よろしく

実は数日後からダマスカスの郊外県にあるシリアの農村でホームステーをすることになりそうです。

日本の某大学様の調査にあやかって参加させていただく形です。

そのためにダマスカス大学の総長に会いに行ったり(会えなかったけど・・・)

泊めてもらう村のお偉いさんに会いに行ったり

村のお家でご飯を食べさせてもらったり

俺はやっぱこんなことがやりたかったんだなあ~

と思う毎日

最近、語学ばっかりやってて目的を見失いがちだったけど認識させられたのは、語学は僕にとっては人と話したり、人の考えを知るためのツールでしかないこと。

昨日、村の人と話したけど、都会では通じるフスハーはやっぱ田舎ではほとんど通じなかった。

ちょっとショックだったけど、これは神様が与えてくれたチャンスなんだなあ~と思う

ハンドゥリッラー

フスハーもろくにわかってないけどアンミーヤだとなおさらだ。

日本では学術志向やったからフスハーをやりたいと思ってシリアに来たんやけど、フスハーってやっぱり金をある程度持ってる、知識人のための言葉やねん。

もちろんそれはそれで書き言葉やから大切やし、生きてる言語やねんで、

でもそれだけ知っててもみんなの考えがわかるわけじゃないねんなあ~、って思い知らされました。

なんやようわからへんと思うけどやっぱアラビア語をやってる人がいつかはみんなが持つはずのアンミーヤとフスハーの葛藤というものがいまさら来たみたいやねん(苦笑)

でも泊まりこんでアンミーヤの勉強ができるみたいなんでいいチャンスに恵まれたぜ。

しかも普通の留学生が知らずに帰っていく農村に実情を知ることができるんだし。

帰ったらゼミで知識をひけらかして進ぜよう 

はっははっは

いま読んでるそこのあなた、ぞくっとしたでしょ

まあいいや。

なんか真面目な感じでごめんね。

ここからはボーナストラックです。

今日、マアルーラに行ってきました。

中東ではめずらしいキリスト教徒の村です。

世界最古の教会

と言われている教会もありました。

なんか、村が生きてる感じがしてよかったな。

いや、ほら、最近ローマの遺跡を見ても死んでる感じしかしなかったから飽き飽きしてたんです。

ボスラの3倍はよかった。

でもそんな話をしたいわけではありません。

行きのセルビスでの話です。

道ばたに花をもったおばさんが立ってました。

おばさんはセルビスをとめました。

そこまではよかった。

おばさんはセルビスに乗り込もうとしました。

乗れません

そう、おばさんは太りすぎていて普段歩かないから筋肉がおとろえているため、そんな大した段差でないセルビスと地面の間の段差を克服できなかったのです。

うんとこしょ、どっこいしょ。

それでもおばさんは乗れません

男の人が一人、手をひっぱりました。

うんとこしょ、どっこいしょ。

まだまだ、おばさんは乗れません。

もう1人、男の人がもう片方の手を引っ張りました。

うんとこしょ、どっこいしょ。

とうとう、おばはんは乗れました。

おい、ばばあ!ダイエットしようぜ!!!!

2009年7月28日火曜日

夏休み、中間報告

あ~あ、結局3日休んじゃったよ。

この3日なにやってたかって?

海賊版映画を見てました。

実は気づいたねんけど遊びのように思えて地味に勉強になる。

というのも英語で映画見るんですけどそのときアラビア語の字幕を流すんです。

すると普段使うけど学校で習わないような日常会話の表現が字幕に流れてるんで新聞とか読むのには絶対に役に立たないけど、

「今度、これしゃべるときに使ってやろう」

とか思えて結構楽しいです。

あとこの3日で「ビューティフルマインド」という映画を三回見ました。

やっぱ感動するよね。

初めて見たのはきっと中三のときに飛行機で見たときだと思う。

度々、その映画についての酷評は耳にしたけどやっぱ感動するわ。

特に最後の方でみんながペンを置いていくシーン

う~ん、感動した。

それと見てて思ったのは

俺って学問の分野じゃぜってー大成しない人間なんだな~。



まあまあ、皆さん一度みてくださいな。

さてさて、この休日、ボスラという街に一人旅してきました。

でも遺跡って感じで大して書くこともないのでボスラから帰ってからのダマスでの出来事を書くとしよう。

ボスラから帰ってインターネットカフェにいくとシリア人の友達がいたのです。

聞くところによると今から本屋街に行くというのでついていくことに

その道々、女性を階段で助けるシリア人などを見て

「シリア人、こういうところがいいよね~」

とか思ったりすると

階段を上った脇には

PLQY STATION

が・・・・

確実に確信犯ですよね?

そして、本を見てその帰り道の話

先にアラビア語の人たちに断っておきます。

すまん、内容かぶってる

気を取り直して、帰り道と

まあアラビア語でやんわり表現してもいいのですが僕の好みにあわないので直でいいます。

道ばたには乞食がいるわけですわな。

しかもよく見たらそいつらまるまると太ってるんですよね~。

って、おかしくね????

あとこっちの人が1日で得るお金って500円くらいなんだけど乞食の方がどうみても稼いでる・・・・・

あと前の話なんやけど、ムスタファーというムスリムのパキスタン系アメリカ人と一緒に学校に行ってるときに彼、ムスリムだから丁寧にザカート(喜捨)をしていくわけよ。

でも俺にとってはどう見てもそのおばあさん演技をしているんです。

だって手の震え方が不自然なんだもん。

そこで僕は言ったわけです。

「あのおばあさん演技してるとおもわないの?」

ム「思わないね」

僕「しかもこの歩道橋、あんな寝たきりの人が上ってこれる高さじゃないよ!」

ム「別にいいじゃない、だっておばあさん困ってるわけでしょ」

ううっ、その通りだ。確かにイスラムの教えに従えば困ってる人を助けるという精神が大切なわけだ。

もし、誰もおばあさんにザカートをしなければ、おばあさんはお金が稼げずに本当にのたれ死にするわけだ。

いってみれば乞食という職業だね。

でも汗水たらして働いてる人より稼ぐっていうのは不条理だよね・・・・

まあいいや、今度、天国に行くためにザカートでもしてやるか。

でも俺ムスリムじゃないけど・・・

2009年7月24日金曜日

あ~なつやすみ

さっき、道をあるいてたら子供が

「ヤバーニー」

といって猛スピードでとびかかってグーパンをしてきたので

思わず反射的に脇腹を指先で突いてしまいました。

その子供は元気に走っていったけど10秒後に僕が秘孔をついてしまったために

「ヒデブー」

といって爆発してないか心配でたまりません。

ということでおわりました。

てすと

アンド

僕のシリアでの学生生活

なんか今、定年退職を迎えたお父さんの気持ちになってます。

まあやりたいことはたくさんあるけどまとまらない・・・

2日休んで1週間使って1ヶ月なにやるか決めようかなあ

とか思っています。

ちなみに名目上、今回で中級レベルをコンプリートして次から上級レベルに突入することになっていたのですが、私の上昇するレベルが追いついてないと勝手に判断したのでここで夏休みをとることにしました。

でも考えてみれば学期間の間に10日ずつ休みがあったからすでに1ヶ月休んでることに・・・

やばいな。

みんな留学してすごいレベルになっていくのにおれってのんびりやさんだな~。

まあそんな自分が嫌いじゃない。

あ~、なんかテスト終わったら脳が機能停止してしまってなにも考えれない・・・

てことでまた今度ちゃんとしたこと書きます。

2009年7月21日火曜日

おれの、おれのバーディンジャンが・・・・

別に下ネタとかじゃないですからね!

私、実はいまの家結構気に入ってます。

テレビもある

ラジオもある

全自動洗濯機もある

冷蔵庫は四部屋しかないのに2台もある

これじゃあ東京に行くことにはならないです。(わかったかな?)

時々、上から砂は降ってくるけど場所は決まってるのでそこをよけて暮らせばなんとかなるし、俺の部屋、1階であんまり日もあたらんし結構涼しい。

しかも2週に1回くらい個人の部屋以外の場所を大家が掃除してくれるし。


でも僕の使ってるほうの冷蔵庫の冷凍室にはムシュキラ(問題)があるのです。

こっちの冷蔵庫は基本的に古い型だから冷蔵庫も冷凍庫も空間は同じ訳です。

冷凍室が冷蔵庫の上のほうに申し訳程度についてるかんじ

で、僕の使ってる冷凍庫、ほっとくとガンガン氷がはっていって、冷凍室が氷でいっぱいになるわけです。

そして、昨日、最近マイブームのバーディンジャンのオランダ煮(なすのオランダ煮ともいいます)をつくって古くなったパンを埃がかぶらないようにのっけといたわけです。

そして朝

自家製イチゴジャムを食べるために冷蔵庫をあけたら

なんとなすのオランダ煮にかぶせたパンがぬれてるではありませんか!

私のかわいいなすのオランダ煮ちゃんが被害を受けてないこと祈り、パンをぺらっとめっくって見ると・・・・

みずびたし

あ~、あつあつのご飯といっしょにバーディンジャンのオランダ煮をかき込むのを楽しみにしてたのにーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!

じがもごんがいはいづもいじょうにうまぐでぎだどおもっでだのにーーーーー(涙)

全てはこの冷凍庫のせいです。

まあカリカリしても仕方がないですね。

ホリエモンがヌード撮影したって別にいいんじゃないかねえ?

おっと話が違う方向に向いてしまった。

ついに壊れたか

とおもってましたが学校から帰ってきて電源を見てみたら抜けてました。

大家がきっと氷をとかすためにきっとぬいていったんでしょ

先にいってくれよ~。

ちなみにそんな冷蔵庫の中の氷になにが含まれているのかわからないのでなすは全てゴミ箱いきです。(グスン)

話はころっとかわりますが

あと二日で最終テストですか~

またこのときがやってきましたね。

1ヶ月に1回ペースでくるわけですけど

授業、はやくおわんね~かな~

って毎回おもうんだけど、クラスメイトと別れることはなんかさみしい。

今回はいままでで一番楽しかったクラスだなあ~って思う

しかも季節的にほかの国の学生は新学期が始まるために自分の国に帰ってしまうわけだ。

僕も来月はラマダーンになってしまうこともあり、そのほかの複合的な理由も併せて授業をとらずにこれでダマ大生活を終了することにしました。

ぼくたち、私たちはダマスカス大学を・・・

あっ、別に卒業するわけじゃなかったわ。

でも、わかれの言葉はまた終わってからにします。

あと2日でフリー

ダマスでぷー太郎になるわけだけどいったい何しようかな?

今回はビザの関係で国外逃亡もできないし、リゾートもない。

ちっ!勉強でもしてやるか。

2009年7月15日水曜日

今回、投票できません(涙)

自民党、都議選、へたこいた~!

いやはや、ニュースは詳しく知りませんがヤフーニュースを見ている限りでは、

鳩山、うまくやってるな

という感想です。なんか開きなおってすぐにあやまってるからそんな傷手になってないんじゃねーの?という憶測なんですがどうなんでしょうか?誰か世論を教えてください。

そんな将来、池田市長ぐらいならなれるんじゃないか?と思っている社会派な私は最近自分で気づいたことがあります。

私、本当の意味での草食男子です。(全く関係ないやん!!)

いや、なんか「男子」って響きがいやだし、僕は男子という感じではないと思うので訂正します。

私、リアルな草食漢(「おとこ」と読んでね!)になってしまったようです。

とはいっても、ちまたではやってる草食男子とは違い、本当に肉を食べない方の草食(類義語はベジタリアン)になってしまったようなのです。



日本では剣道という戦闘的なものをやっていたために知らず知らずの間に戦闘民族になっていた僕

1食のなかに肉がなかったら

「オラー(コラーの上)、肉はねえのか?肉は?アアン?」

という山賊的なぶちぎれかたをしそうになったもんです。

しかし、こっちに来て、毎日、寝て、起きて、ボーとして、アラビア語のことを考える生活だけをしていたら、戦闘的な感覚が薄れてしまったみたいです。

戦闘的になるのはシーア派モスクの前で黒いコロッコロッのデブどもを押しのけて進むときくらいです。

感覚がなくなっていくのと同時に肉を自然と食べなくなりました。(本当の理由は肉が高いからだけど・・・ でもその割には痩せてないのはどうして?)

いや~、不思議ですね~。

そういえば、ガンジーもルソーもみんなベジタリアンだった模様です。

非暴力ばんざ~い!!!

いやいや、こんな話ではなかったはず・・・・・

イダーファ イラー なんですけど(加えてって意味ね)米も週1でしか食べなくなりました。

だって、焼きたてのホッブスうまいですから

まあ本当は米洗うのがめんどくせえといったところなんですが、

日本にいたときは日本食をこよなく愛していた僕

俺、米ないと生きていけねえなあ~

とか思っていたけど大きく期待を裏切る結果になってしまったようです。

味噌汁も別に飲みたくなったりしないしね

俺って以外と環境適用能力たかいいいんんじゃね???

よし、就活のためにこのことをメモっておこう。

そういえばみんなの就活の結果はどうなったのでしょうか・・・
成功してたらメールください。お祝いにもれなくシリアの写真をプレゼンとしちゃいます!



最近、ちょっとブログの個人流用が目立ちますが多めにみてくださいな。

なんか他の留学している人はなんかみんな真面目にやってるけどこんなんで申し訳ねえ

でも、でも、でも、でもそんなの関係ねえ!はい!オッパッー、ピー

てことでみんなではやらしましょう

草・食・漢 (え~、そんなはなし・・・ パート2)

あ!あと裏技つかって自分のブログ見れるようになりました。(パチパチパチ、マブルーク)

ってことでコメントを書けばマツムラ君に伝わります。(返事はできないかもだけど・・・)

読んだら是非コメント書いてください。

お願いします。寂しがり屋のタスクちゃんに愛の手を・・・・(24時間テレビか!)

2009年7月11日土曜日

7月病

無気力、脱力感

これは完全に7月病にかかってしまったようだ。

どうも僕です。

芸能人なみに更新がんばっちゃってます。

読んでいただいてるかたありがとうございます。これからもごひいきに

さてさて、中間テストが終わり、でも宿題がいっぱいある

だけど無気力

どうすればいいのでしょうか?

おしーえて、おじいさん~。おしーえて、おじいさん~。(あっ、アルプスの少女ハイジから借用しました。)

てことで「私は真面目人間ですよ」アピール+気力復活をさせるために自分をみつめなおしてみたいとおもいます。

今回真面目なんでここで先にいっときます。

さてさて、昔の自分というものを考えただけで恥ずかしくなってしまいます。

一言で自分の各時代を表現すると

幼稚園時代:人生のモテ期終了、ここまでで3回使い果たす

低学年時代:体、初期拡張期

高学年時代:本能のままに行動する。理性の欠けた時代

中学、高校時代:男子校暗黒時代

そして今の大学時代に入るわけなのですが

思い返して一番はずかしいのはやっぱ大学の1、2年ときですね。

恥ずかしすぎるのであえて書きません。

でも自分でも恥ずかしいことをしていた僕はみんなに知らず知らずのうちに支えられて生きてきたんだなあ

としみじみ感傷にひたってしまいます。

皆様、ありがとうございます。

これからも僕をよろしくお願いします。

といってる僕も後1ヶ月ちょいで22に・・・・

歳とりたくない・・・、時間よ。とまれ

小学6年生の自分の計画によると22歳の自分ってもっとスゲー人間になってるはずやったのにね

きっとあと1ヶ月ではそのようになることはないでしょう

てことで22の自分に手紙を出してくれたはずの小6の自分に返事をだしてみましょう。(毎日聞いてるアンジェラアキの影響です。)

拝啓

この手紙、読んでいるあなたはどこでなにをしているのでしょう。

22になりかけているあなたは今、シリアというテロ支援国家に名指しされているところでアラビア語というなんとも奇妙な言葉を勉強しています。

どうしてそんな言葉を選んだのですか?真の理由を教えてください。

まあでもあなたの21までの人生ははっきりいってそんな悪くもないでしょ。

そして、小6のときにぼんくらだったあなたが22でそんな偉い人間になってるはずもないのです。

もっと現実をみましょう。

全てが人並みで、人より多くやったことといえば、テレビを見たことと寝ることとご飯をたくさん食べたくらいです。

あと受験期にはあなたは全く勉強しません。

テレビをみます。

そして、あなたは何かの勘違いをします。

そのことをあなたがもっと早く気づいてたらもっとましな人間になっていたはずなのにね・・・

あと10年であなたは色んなものを知り、色んなことを考え、色んなことを感じ、数々の敗北も味わうことになります。

でも悪いことばかりではありません。人生なんとかなるものです。

がんばって生きてください。

では

p.s. アンジェラアキは自分の声を信じて歩けばいいといっていますが、あなたの場合は信じなかった方が賢明だったように感じます。
敬具


といったとこですかね。

あと誰か落ち込んでるときに元気になるおすすめの歌を教えてください

では、やっらバーイ

2009年7月10日金曜日

今夜、月が見える城塞に

どうも僕です。

ブログ読者から催促のメールがきたので早速・・・

なにについて書こうか?

真面目な話?

それともおちゃらけた話?

では間をとって今夜とても月がきれいだった話をしましょう。


今日はいろんなことがあった。

朝は授業を受け、テストをうけ

意味わかめで

そのあとたまたまあった日本人たちとフォーシーズンズホテルの敷地内にあるコスタカフェへ

とっても高かった。

普段の3日分くらいの生活費だ(といっても1日200円くらい)

シリアではありえない値段だ。

でもそれは自分へのご褒美として、だらだらしゃべったあとで日本大使館周辺にある高級食料品店へ

すげー

なんでもあった。

なんと業務用の照り焼きソースとかうどんとか

でもくそ高い

これだったら自分で小麦粉こねるわ

と思ってふと賞味期限をみた

2008・・・・・

おいおいおい、ふるいにもほどがあるやろがい

それはおいときーの、とつぎーの

本題

今日はテストが終わったので無料のジャズフェスティバルがシタデルのなかであったのでいってきた。

正直、最初はジャズにはさほど興味がなく、無料でシタデルの見学をするためにいった。

でもよかったよ。

あんまりジャズは詳しくないけど先月同じクラスにいた奴といっしょに

よかったねという話をした。

そして、アンコール曲を聴いてるときの出来事だ。

なんと満月が城塞のすみからひょっこり顔をだして、だんだん現れていく。

なんと美しいんだろ

あえて描写はしません。言葉では書ききれないですから

そんな初夏の出来事でした。

ちゃんちゃん




というだけでは僕のブログとしては似合わないので、ついでに心暖まるストーリーを一つ

クラスでは席が決まってるわけではないのに大抵、みんな毎日同じ席にすわる。

今回のクラスで僕の横に毎日座っているのはムスタファというパキスタン系アメリカ人で20歳で四年生大学を卒業した秀才で、彼のおかげで僕の英語をしゃべる速さが確実にアップしている(英語か~い!!)

でも勉強ばかなわけではなくとってもいい奴なのだが、時々彼のリアクションに不覚を取ってしまうわけなのだ。

というのも先日、彼がプレゼンをする内容について話していたのだ。

「~と、~と、ベトナム戦争におけるブラックムスリムについて話すんだ。」と彼が言ったので

「えっ!ベトナム戦争と黒人に関係なんかあったん!?」と僕がいったとき彼はあるリアクションをとりました。


銃を構える格好をしながら

「bang! bang!. that’s it!」

といわれたのです。

ああああああ~!!!!!!!!

どうして俺はあのとき銃に撃たれるまねをしなかったのだろうか!?

俺は大阪人のはずなのにーーーーーーーーーー!!!

という自己嫌悪にさいなまれる僕のハートウォーミングな話なのでした。

ちゃん、ちゃん

ハラース

2009年7月3日金曜日

天罰うけてます

ちゃーす

おひさしぶりぶりぶろっこりー

僕も他の人と同様に更新をさぼっててすいません。

でも期待されるとだめな子なので許してちょ

新しいレベルも始まり、毎日グロッキー状態です。

このことをダマ大にいる日本人にいったら「ダハブでダイビングをしていた天罰だ」的なことをいわれました。

神様ごめんね。許してちょ

来週からは授業内容を簡単にして、宿題を減らしてくださ~い!

アッラーにこの叫びは果たしてつうじるのでしょうか?

まあいいや。くれぐれもいっときますが別にそんなにアラビア語を死ぬほど勉強してるわけではないからね!

こっちで先に留学している同期にあったけどみんな(○っちとか黒ずくめとかなっ○―とか)すごいレベルにいっているのではっきりいって自分の成長のなさにショックを受けています。
(詳しい内容はアラビア語科の人だけにわかるようにアラビア語で書きます。辞書なしなので間違ってたら許してね。)
لا سيما موتّي, قابلتها في دمشق و تكلمنا في اللغة العربية قليلا هي تتكلمها بطلاقة. صديقي السوري كان يتعجب منها أيضا.

さてさて、恒例の愚痴はほどほどにして



いってきました。

ダハブに

これで僕もアドバンスダイバーです。

実はダイビングのライセンス、思ったより大変です。

毎日100ページくらい教科書を読んで、車の教習所より長いビデオをみさされます。

オープンウォータのライセンスを取ったときは

「もうこれでいいかな~」とも思ったけど

よかった、アドバンスまでとって。

深海30メートルは異世界です。美しす

もう遺跡とかに飽き飽きしていましたが今度は海中遺跡へのダイビングに挑戦したくなりました。

つまらない話はさておき

帰り道におこった出来事でも書きますかね。

今回もやっぱりバスと船でエジプトまで・・・

行きはスローすぎるボート(9時間って・・・)に乗るのですが帰りは体力的にファストボートに

前にも一度体験していたので

「乗り込むのは2時やけど出港は6時くらいなんやろうなあ~」と思って一眠り

ふと目が覚めるともうボートは動き出していた。

「なに!もう6時か、めっちゃ寝たやん!」と思って時計を見ると3時半

私は一瞬自分の目を疑いました。いやなにかの間違えに違いないとも思いましたがやっぱり3時半なのです。

き、きせきや!
なんとイエスが死から復活するぐらいの奇跡がおきたのです。

中東で時間通りに船が出港している・・・・・

というわけで6時くらいにはヨルダンの税関も通り抜け、今日中にダマスに帰れるのではないだろうかとほのかな期待を胸にいだいたわけです。

これが大きな落とし穴でした。

税関を通り抜けたところでセルビスの客引きのおっさんに

「どこまで?アンマン?」と聞かれたので、うんとうなずくと手をひっぱれれました。

「いくらなの?」と質問をしたら10ディナールと言われたので

「ファック!そんな額払えるかボケ」とは言いませんでしたが

「それやったらバスにのるわ。」といってさろうとすると

おっさんが「まて、まて」といってきた。

やった。これを期待していたのです。

「これは値引きされるパターンや。らっき、らっきー!」と思い

いくらなの乗るのかといわれたので8と答えました。

あまり低くいうとヨルダンやシリアの人はなめてるんか?と思われて交渉ができなくなるので物価を理解していると示すためにも正当な額をいわなくてはなりません。

この額の根拠はアカバからアンマンまでの大型バスが5でムジャンマジュヌーブからアブダリまでのタクシー代が3、前にきたときにかかったので併せて8だと僕は損をしないわけです。

そして粘っていると8になりました。

「おっさんは4人乗ったら出発するから」といいましたがこれが大嘘

結局10人乗りました。

僕は助手席でデブでくっさいおっさんと運転席に挟まれた真ん中に座らされるはめに。しかも大きな荷物を膝に抱えながら・・・

あれや、これやで出発したのは7時、アンマンからダマス行きのバスがなくなってしまうので時間がない温厚なマツムラくんもさすがにイラッとくるわけです。

しかも運転手は悪びれる様子もなくアラビア語を少ししゃべれる外国人を珍しがってしゃべってくるわけです。イラ2

ガソリンがなかったのかガソスタに入り、ガソスタ付属のスーパーで買い物を息子とする運転手。人生で初めてクラクションを押しました(運転手を呼ぶためにね)。イラ3

そして、前を走っていたバスを追い越すために対向車線に出て追い越し、すると前からもスピードの車が!

はっきりいって死を悟りましたがなんとか回避。これはイラの対象外、恐怖ですから

100キロ以上で走っていると今度はスピードチェックをしていた警察官につかまってしまいました。おっさん、罰金を30払わされる。

そうこうしているとアカバの検問所に到着

もう、アンマンにはバスの時間までにはつかないと悟り、開きなおって、イライラは解消。するとおじさんは怒りが消えた僕の顔をみてお菓子をくれました。

ハンドゥリッラー

それからこっくりこっくりととても狭い空間(横のおっさんに押しつぶされそうな空間のこと)で居眠りをし、運転手がトイレ休憩といった。

うそこけ!

おっさんと息子の夜ご飯タイムでした。

乗客もみんなイライラ

でもおじさん、急ぐ様子なし

そしてようやく車が動き出し、横の運転手のおっさんをふとみると

左手には携帯、右手にはタバコとコーヒー

あれ?ハンドルは?

当然持ってない

な~に~、やっちまってるな!

僕はいつでもハンドルを握れる心の準備だけはしていましたが、まあなんてことなくすすみました。

そして、途中で道ばたに車がとまり、行き先によってセルビス同士で客の入れ替えがおこなわれました。

僕は違うセルビスに移るはめに

「これでようやくこのデブから解放だー!!!!!」と思ったのもつかの間、

違うデブの隣りに。そう、アラブ圏ではおっさんとおばはんは大抵、コロコロのデブです。

おねがいです。ダイエットをしてください。

と思っているとアブダリについた。セルビスを降りると運転手のお兄ちゃんに10払えっていわれました。

そう、お兄ちゃんは知らないわけです。

僕は経緯をなんとか説明
でもお兄ちゃんは「みんな10だ!」といってきたのでキレたふりをしてやりました。

そう、こっちでは先にキレたもん勝ちです。

しかも、こっちには時間という人質があるわけです。

もう最後のバスもとっくに出てしまっているわけなので僕にはたっぷりと時間があるわけです。

でも運転手はほかの乗客を送らないといけないので客が怒る前に話しをつけなければいけないのです。

結局8になりました。

そして運良く横にダマス行きのタクシーが

客も僕以外に3人そろっているので僕が乗り込めば出発というわけです。

らき、らっきー!

深夜12時、バスよりは高いけどホテルに泊まるよりは安いので乗ることにきめました。

すると横からフー、フーと鼻息が聞こえるではありませんか。

そうです。後部座席の真ん中には太って、鼻が詰まっているくさいおっさんがいたのです。

勘弁してください。

と思いつつ。横のデブにプレスされながら国境へ

しかも僕はくそ眠たいのにおっさんは興奮状態でアラビア語をしゃべる日本人が珍しいのかめっちゃしゃべりかけてくる。

うるさい、太い、くさいの三拍子そろった攻撃でせめたててくる。

マツムラくん、ダウン!

そうこうしてると朝の3半時頃にダマスに到着、そこに運良くそんな時間にセルビスがきて旧市街に

愛しき我が部屋に到着したのは4時半ごろでした。

意外に早くついた。

そして次の日から学校が始まるのですが、アラビア語を理解できないという悲劇が待ちかまえていたのです。

てことで、それから1週間リハビリをしてなんとか生きてます。

あとアラビア語科の人々に一言。

アメリカ人はぼんくらではありません。彼らスゲーわ。

2009年6月13日土曜日

ここはどこ?

さて、クイズの時間です。

地名を当ててください。

たすくちゃんは歩いていました。

すると目の前にはバーガーキングが・・・・

店内に入るとメニューは全て英語で書かれています。

もちろん店員さんもみんな英語でしゃべります。

お客さんの声に耳をかたむけてみましょう。

英語でしゃべっています。

普通のセットを+100円くらいで日本人が想像もつかないくらいのビッグサイズにすることができます。

ちなみに飲み物はドリンクバー形式でコーラとスプライトの品揃えが半端ありません。

たすくちゃんはお会計をすましてふとレシートをみました。

値段は米ドルで表記されています。

まあ、海でも見ながら食事をしている、店内にはなぜかマライヤキャリーの曲が流れているではありませんか。

食べ終え、店の前の海岸沿いへ出てみるとウィルソンのラケットバックを担いでいる少年に出会いました。

そのあと、お金があんまりないことに気づいた、たすくちゃんはATMでキャッシングするとお金は米ドルで出てきました。

さて、ここはどこでしょう??




てことでそこに行ってきました。

ヒントはダマスから車で4時間くらいのところです。


もうわかったかな?

答えはベイルートというレバノンの首都です。

上記のことは全く脚色をしていない事実です。

はっきりいってまったく中東とは思えない・・・・

国民の半分はイスラム教のはずなのにヒジャーブをしている女性は1割くらい

あと、街にある看板の女性の肌の露出の量!

サウジ人の男性が見れば鼻血ブーであることは間違いない(ピュアな奴に限りね。)

違う

異質だ。

質が違う。

これは中東なのですか?

いいえ、欧米のリゾート地です。

といってもいいくらいだ。

なにせ、中東諸国では見たことがないほんまもんのジョルジョアルマーニやアディダスやKENZOまであるのです。(パチモンならシリアでもあふれかえってるけどね)

はっきりいってシリアの生活にそこそこ慣れてしまった僕にはそうとうきつい暮らしになることでしょう。

というのも9月ごろにレバノンにお引っ越しするつもりです。(インシャアッラー)

その下見のつもりでいってきたのですが、すでに不安でいっぱいです。

なにせ、バーガーキングの他には水しか買ってないほど物価が高く感じる。
(ていうか現地通貨で10万とか表示されてるとまったく計算ができん!あとなんでレバノンの新聞なのにシリアで買った方が安いの?)

やっぱシリアっていいとこなんだなあ~

と改めて感じましたとさ。

チャン、チャン

p.s. まったく関係をないことですが、教室のドアに張ってある僕の名前の表記が「マツマラ」になってることが気になります。 

2009年6月10日水曜日

選挙速報

レバノン選挙、ハリーリの息子が勝ちましたね。

そのおかげでシリアの新聞はレバノンの選挙情報はほとんどのせません。

マニアックな話はこれくらいにしておき

シリアはもう夏です。

なにを唐突に!

と思いましたね。

それはおいとき

温度計が40度を超えているくらいの日々が連日続いています。このままいったら12月には80度を超えてまいます。

そんな暑い日々の中でうれしいことが一つ

夏野菜がうまい(あっ、フルーツもね)

ちょっと自炊をさぼっていた時期もありましたが最近は毎日自分の手料理

神がくれたこの才能にほれぼれする日々です。

そして、今日は夏野菜のパスタをつくってみたのです。

うううううううううう、うまっい!!!!

きっと周富徳と夏野菜イタリアン対決をしたら僕は勝っていたことでしょう。

と無駄なことを考えながら食べていました。

ハンドゥリッラー(ちまみにごちそうさまもこれで、いただきますはビスミンラーヒです)

で、こんな無駄なことを書いている理由はというと
そうです。明日は1時間まるまるお一人様のプレゼンが控えているのです。

今夜がやま~だ。

まあなんとかなるでしょう。

そんな場所です。

2009年6月6日土曜日

はやいもんで

さてさて、書くこともなくなってきましたね。

そう思ってカレンダーをふとみると何ヶ月ここにいたと思います?


さ・ん・か・げ・つ


おおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!

やってもた。もうここに三ヶ月もいるなんて!!!!

やばす、やばす

とあせりながらもこんなブログを書いている今日この頃、みなさまお元気ですか?

僕はお元気です。

さて、だいぶご無沙汰してしまったようです。

いまちょっぴりへこんでます。

アラビア語にうちのめされました。

はは

愚痴はこのへんにしておき

おもしろいことは特にないので先日あった怖い話をしましょうかね。

先日、バーブ・シャルキーの近くのスーク(市場)をぶらぶらしていました。

あんま思ったよりも野菜、安くねえなあ~

と思いつつ家に帰ろうとしたときです。
テンションの高い、薄汚いおっさんに声をかけられました。

「おい、何人だ?」

日本人だと答えると自分の知ってる日本人の名前をあげだしました。

そして、そのなかに僕の知り合いの名が・・・

そう、僕はこのおじさんをうすうす、知っていたのです。

他の日本人から存在は聞いていました。

さそわれたので暇だからついていきました。

おっさんの知り合いのお店でシロップのような紅茶を呼ばれ、

おっさんの知り合いの靴下工場で偽ブランド作りのブランドを目撃してしまい、

そしてやっとおっさんの家に。




きっ、きたない!!!!

おっさんの部屋の第一印象です。

床にものが投げ散らかしてあり、まさにカオスってかんじです。

そこでお茶をよばれ、おじさんが知っている日本の知識や日本人についての一方的な会話が続き、

しゃべることがなくなると僕の体をぺたぺたさわりながら

「アハランワサハラン、アハランワサハラン」

というのです。

「やべえなあ、こいつ。もしかして俺の体目当てか?」

とちょっと恐怖心をいだきながら時間をすごしているとなんかいすの下から変な音がするではないですか。

僕が不振そうな顔をしているとおっさんはいいました。

「子猫をかっているんだ」

な、なんと

子猫というものに目がない松村君はうれしさのあまり目をランランと輝かせたらおっさんはいった。

「みる?」

ぜひ!

とはいってないけど、「うん」的な感じでいすの下にいる子猫をみました。

「かわいい」

かわいすぎる。

でも子猫はおっさんの部屋のカオスの中に逃げこんでしまいました。

そうこうしているうちに携帯の時計は7時を表していました。

やばい!

なにがやばいかって?

私の知り合いの情報によるとそのおっさんの家でご飯をよばれるとまずい上に、必ずあたるらしいのです。

学校がまだあったのでそれは是非とも回避しなくてはいけません。

私はいいました

「じゃあ、そろそろ勉強の時間だからかえるね。」

おじさんは必死に止めようとしました。

でもそこを押し切り、帰ろうとするとおじさんもついてきて

「家までおくるよ」

的な雰囲気をだされました。

帰りしな、近くのマスジド(礼拝所)を見学さしてくれ、実はいいやつなんじゃ・・・

と思っていると僕の靴を片一方履くというくだらないことをしたので

はあああ????

って感じのオーラを発揮したらおっさんはおとなしく靴をかえしました。

ちょっと家の詳細を教えるのは怖かったので一本前の道で

「ここが家だから」

といったら、おっさんは

「朝まで勉強しろよ」

といってお別れをしました。

そしてこないだ学校に行く途中でおっさんに発見されてしまったのです。

ちょっと寝坊気味でいそいでたので

「時間がないの!!!」

といってむげにあつかってしまいました。

あっ、ちなみに噂なんですが去年退官された福原先生が今度の9月からジャイカのシニア隊員としてダマスカス大学で日本語を教えられるらしいです。

みなさま暇なら遊びにきてね!

豚インフルは豚がいないのに出たらしいです(笑)

ではヤッラ、バーイ

2009年5月25日月曜日

いせきフェチ

行ってきました。パルミラへ


実は最近遺跡に飽き飽きしていて、てか今、遺跡に中にすんでるようなもんやし

遺跡を見に行くのは控えててん

でもやっぱし遺跡ってええな。

と、いやされたねんけど今回の旅はあんまり冒険に満ちあふれていなくておもしろいことも特になかったのでアラブ城(パルミラの山の上にそびえ立つ城塞です)に上って下の神殿とかを見て考えてたことを「こいつ変態やな!」と思われるために書きます。
(注、今回は真面目なので特におもしろくもないとおもわれます)

まず、歴史ってなんなんやろ?って考えてました。

そう、歴史はどうして勉強したり、研究したり、しないといけないのでしょうかね?

と小学生が思いつくような疑問

まあ僕なりの意見を述べるとしよう。

歴史は昔のためにあるのでしょうか。だとしたら全くもって無意味な代物だ。

歴史は未来のためにあるのです。

だから昔の人の名前とか固有名詞を覚えるようなことは特に大切なことではない(センターとか大学入試とかね)だからそんなことはさっさと忘れたまえ。
(とっくに忘れていたらけっこう)

でもどこでどんな立場の人がどんなことをしたかを知らなければいけないのです。

だって人間はあほな生き物なんやから結局は繰り返してしまうのです。

そうしないためプラスどうすれば成功できるのかを知るために必要なんです。

どうですか?遺跡を見ながらこんなこと考えてる奴

えっ!そんな奴だって知ってたって?

そう思った人はたすくちゃん検定に合格できる実力の持ち主です。

ちなみにパルミラで本当のオアシスを見てしましました。

ポンプでくみ上げてた・・・・

日本人が思っているやしの木の間に池があるようなイメージは嘘のようです。

あとハマっていう水車のある街にいったんだけど自然があふれていてよかったね。

子供たちは暑いから川のなかに飛びこんで遊んでいる姿をみて心を和ましてました。

そしてその心の充電も今日から放出です。

そう、授業さいか~い!

今度は好評かどうかは知らんけどハンバーガーに日記に対抗してファラーフィル屋おいしいランキングでも発表してみようと思います。

では、ヤッラ、バーイ

2009年5月19日火曜日

さくやがやま~だった

日本では豚のおかげですごいことになってますね。(てか近畿圏だけ?)
西日本大会が中止やって! ヤーサラーム!!

てことで第2ターム目終了しました。テスト終わったーーーー!

ふーーー!!

こちらはまあ豚がいないから豚インフルなんて関係ないってかんじです。

やっぱり不浄な動物やから・・・って風潮もおこるやもしれんね。

そういえばこないだシリア人に「どうして日本人は豚を食べるんだ?自分の親でもかまわずば××しちゃういきものだぞ!鶏肉を食え。」

まあでもおいしいですから・・仕方がありません。とはいえませんでした。

さて恒例の1ヶ月総括でもしますか。

今回はあまり自分のレベルが伸びた気がしない。

てかあまり勉強した気がしません。

もうここに来て伸び悩みプラス勉強が思ったように進まないジレンマに襲われています。

毎日、やばい、やばい!

と思いながらも机の前に座り、ただボーとするだけの日々。

そしていつも自責の念におそわれる。

だめだめです。

まあでも今回の一ヶ月はちょっと気を抜いてもそこそこ出来てた(そりゃそうだわな)のでよしとしよう。

また次のタームから気合いをいれようと思います。(次のレベルはくそむずいしい)

いまは5日間のお休みをどうすごそうかということで頭がいっぱいです。

よし、シリア国内でも回るとしますか。

ちなみにその話をクラスメートとしたら

「2ヶ月もいるのにまだどこもいってないの!?」といわれちゃいました。

まあ、世界の名著みたいなもので、いつでも行けると思ってたら大抵行かないものです。
(世界の名著は読もうと思うけど結局よんでないでしょ。)

わかりにくいね。悪い、悪い。

てことで今日は進級できた自分へのご褒美として贅沢なご飯でも食べに行くとしますか。(200円くらいの)

2009年5月15日金曜日

ちょっとした贅沢

いまブログの更新率をみてびっくらこいていたところです。

てことで暇ではないのですがちょっくら息抜きに・・・

最初の2ヶ月は自炊しまくってたんですけど、最近作るのがめんどさくてファラーフィル(豆のつぶして揚げてあるコロッケみたいなやつ)ばっか食べてたんです。

ほら、安くてそこそこうまいし。てか肉が高い!(野菜に比べてだけど)

なんせサンドイッチにしてもらっても50円くらいだし、単品で6個20円くらい。

昼飯は基本ファラーフィルのサンドか卵のサンドを交代交代に食べています。(両方40~50円)

僕の体はいま畑の肉と卵から出来ているといっても過言ではありません。

そこで今日はちょっと足を伸ばして遠くのファラーフィル屋さん行くことにしたのです。

でも昨日の夜もファラーフィルですましたのであんまりファラーフィルを食べたい気分ではありませんでした。

よし、今日は卵のサンドにしよう。

と店頭で思い、おじさんにいったのです。

「サントウィッチ・べードゥ(卵のサンド)」

おじさんはいいました。

「ハンバーガーかい?」

いやいや、どう聞いたらそうなるんだい?
ちなみにきいてみました。

ぼ「それだったらいくらなの」

お「35(70円)」

うっ!高い、昼飯は25が限界だ。

ぼ「いやいや、卵だけでいいんだよ。」

そういったら「わかった」って感じの顔してビーフパティと卵2個(ここでは卵は基本2個です)を焼き出す。

根っからの日本人の僕は「もう焼かれてしまったから仕方がない」と思い、おそるおそる聞いてみました。

「えっ、それで35なの?」

お「いいや、これは50(100円)だよ」

そりゃそうだわな。こっちじゃ肉がついたら基本50越えは確実だ。

でも城壁ないで食べるとハンバーガーは基本200円以上する高級食なのでかなりおとくだ。

肉はうすっぺらいけど、野菜がふんだんにはいっていて卵二個、これはすばらしい。

食べていると半分くらいのところでギブしそうになった。

これは神様が「ファラーフィルばっか食べていると健康に悪い、もっと栄養をつけなさい!」ということでファラーフィル屋のおっさんに聞き間違えをさしたんだなと思うことにしました。

まさにマーシャアッラー

ちなみに神のお告げにしたがい、今日の晩飯は野菜が盛りだくさんの炊き込みご飯にしてみました。うまかった。

ハンドリッラー

2009年5月9日土曜日

またまた休日の過ごしかた

実はシリア1の観光名所、ウマイヤドモスクから徒歩5分のところに住んでいるにもかかわらず、先週まで入ったことがなかったのです。

で、先週の金曜日、

僕はムスリムですよ~、って感じの顔して入ったら全然止められませんでした。

本当はムスリム以外は入場料とられるみたいですけど・・・

で、今週の金曜日

またまた普通にムスリムたちとともにムスリムしか通れないはずの門から入ったのです。

なにも知らない観光客っぽい外人さんはとめられて

「おい、あっちの門からはいれよ!」

って怒られてたのに僕はスルーでした。

俺はそんなにここに同化してしまっているのか???

でも毎日「スィーニー(中国人)」とか「チンチャンチュン」とかいわれて気分を害しているのに・・・

で、暇だったので小1時間ほどウマイヤドモスクの柱によりかかって日向ぼっこをしてたわけです。

世界最古のモスクもいまや子供の遊び場です。

きゃっきゃいうて遊ぶ子供たち、モスクをみたり、光景を見てボーとしている僕。

そしたら、やっぱり東洋人は珍しいので自然と子供がよってきます。
(まあそりゃそうか、金曜にモスクで座ってた外人俺だけやったし)

で、おきまりの質問を1つ、2つ、3つほど

たとえば「ここでなにしてるの?」
「ここに住んでるんだよ。(うそだけど)」

「ムスリムなの?」

「まあそんなもんかな(大嘘)」

「お祈りの時間だよ、一緒にいかない?」

「やめとくは、それは心の中でするものだから(したことがない)」

ってな感じで日本にいたときより適当さが増している僕です。

やっぱ、モスクは心がなごむね。門をくぐると「聖地!」って感じはするけどなにか気取ってないところが好きだな。

なんか教会とか神社とかとまた違う雰囲気がするね。

ピクニックしてーなー!って思ったぐらいだし。

でもここで気づいた人もいるかもしれんが、そう、シリア国内、

まだどこもいってない!!!

毎週日曜日、先生から「休日はなにをしましたか?」という質問が飛んできて

僕以外は「~に行ってきました。きれいでした。」っていってるのに僕だけ

「オールドタウンを散歩してDVDを見てました。」っていうと

なんて陰キャラな奴なんだ!って感じの目でみられます。

よし、次の休みはどっか行こうって思ったけど期末試験があって無理だわ。

まあそのうちね。
ヤッラ、バーイ

2009年5月7日木曜日

どうしていつも前の日にしか休みがわからないの?

さてまた今日は殉教者の日ということでお休みです。

いままで授業とかクラスのこと書いたことないから知りたいでしょ?

よし、教えてしんぜよう。

基本的に授業は読み書き、リスニング、スピーキング、そろばんからなりたっています。

1ヶ月に一回くらいアラビア語でのプレゼンがあり、1ヶ月に2回テストがあります。

そのテストの合計が65点以上に達すればレベルアップができるというしくみです。

ちなみに65~75くらいでレベルアップできたとしても次のレベルで悲劇が待ち受けています。

って概要はこの程度に、ここからブラックたすくちゃん全開でお届けします。

僕のことを嫌いになりたくない人はここでおわかれしましょう。マーッサラマ


腹心だけが読んでるはずなので大阪アンミーヤを使います。

あんな、めっちゃむかつくおばはんがクラスにおんねん。

フスハーはさほどできるわけでもなく、家で予習してへんから単語とかもすぐ横の人の教科書をのぞきこんでるくらいやのにスイスで先生やってるからって先生づらするわけ。

でな、一昨日中間があって点数をみんなの前で公表するわけよ。

なんと不覚にもそのおばはんに0.5点負けてたねん。

テスト中に半分答えになるような質問をしてたおばはんに負けるなんて・・・

と思ってほんまやる気なくなったわけ

でも今日テストの確認してたら採点ミスがあることに気づいたねん。

圧勝やったわ。ははははっっっっっっっっっー!(お花畑でスキップしてるたすくちゃんを思い浮かべてみましょう)

えっへん。

てわけど妙にテンションあがったんやけど明日、プレゼンとキターバ(ライティング)の宿題があるからしんどいです。

環境汚染についてかかなあかんねんけどあんま知らんし・・・。

ちなみにプレゼンは天皇制についてやりま~す。でも表現がむずかしすぎて文にならんわ。

では腹心どもよ、ハートゥラクン

2009年4月30日木曜日

おそおきなパン屋さん

CNN,BCCをひねればお豚さんたちのおかげで世界がてんやわんやですね。

でもここではおいしいお豚さんたちはいないのでパンでミックの心配はないわけです。

上の変換ミスを見て思い出したので近くのパン屋さんのことを書いてみよう。

近くのパン屋さんは朝しか働きません。そして、商品もホブス10枚という一種類だけなのです。近代的にベルトコンベヤにのって焼き上がってきます。

僕は8時までには家を出ないといけないので7時頃に買いに行くわけです。

手には15SP(30円くらい)を握りしめ、ホブスを買いにいくのですが最近パン屋さん、お寝坊さんなのです。 そのくせ午前中で店をしめてしまう

7時ごろにパンはあるのですがどう考えても昨日、売れ残ったパンを暖めただけなのです。1回買ってみましたが限りなくまずいのです。

誰かー助けてください。このままでは僕の朝食はどうなるのですか?

教えて~おじいーさん~、教えて~おじいーさん~。

パンがさんが早起きするかはインシャアッラーです。

2009年4月27日月曜日

プチジパング発見しましたパート3

あ~、なんかめんどくさくなってきたのでちゃっちゃと書くね。

で、カイロについたわけ。でもカイロですることなんも決めてなかったから暇なわけ。

そこにいたわけです。アラビア語科のアスディカーが。

いや~、日本語しゃべったね。

ときどき「俺、日本にいるんじゃないか?」と思えるくらい。

あとスーフィーダンス見た。

よかったね。どうしてあれがタダでピラミッドはあんなにぼったくるのか意味がわからなかったね。

カイロ最終日はサディーキーのお家にお泊まりしちゃいました。

夜の2時くらいまでノンアルコールビールを飲みーの、メロン食べーの、とつぎーの。

そして、別れの朝(ちゃんと下條アトム風によんでね!)

N本君は表の道まで送ってくれ、ヌウェバ行きのバスがでるバスターミナルへ・・・

約7時間後、到着した。

最初の印象・・・

ここは廃墟なのか!?

そうです。人がいないんです。

ガイドブックも地図も持ってなかったので頼りになるのは宿で写した手書きの地図と僕のシックスセンスだけ。

もう午後の6時くらいだったので急いで宿を探そうとして町の人に聞きまくる。

そして見つけたわけです。

ビーチの上にたたずむ小屋の群れを

台風が来たら飛んでしまうだろうなと思うくらいの作りで一泊800円くらいの激安リゾート

もう暗かったので海に入るのは次の朝にし、街(といっても店が10軒あるかないかって感じ)に繰り出し、ご飯を探すことに。

お金をあんまり使いたくなかったのでしゃーなしでコシャリ(きっと中国語で書いたら炭水化物天国)を食し、シリアにはないメロンを買い、帰り道、ふと空を見上げた。

やーサラーム。ヌジューム ジャミーラ ジッダン フィッサマーアッ

俺は巨大なプラネタリウムに迷い込んでしまったのかと思うくらいにはっきりとしていて、でも人工物にある嘘の香りはどこにもない。

説明はできない、直感的に感じる美しさがそこにはあった。

やることもないのでそのままビーチにむかい、寝転がり、波の音をききながら、ときを忘れ、ただ空をみる。

星が1つ、そしてまた1つ流れる。

もしかしたら今は燃え尽きてしまった星の光を今現在、僕は見ているのかもしれないとありふれたことを考えながら気づいたら1時間強そこにいた。

ベットに寝転がると移動で疲れていたのかまだ9時にもなってないのに睡魔が襲い、寝てしまった。

すると深夜12時すぎに黒ずくめの女から電話が・・・・

内容ははっきりとは覚えていない。ごめん

次の朝、海に入り、バンガロンに揺られ、おじさんに下ネタトークをされ、でもコフタをいただき、海を眺めた。

2時くらいに港につき、出国手続き。

みんなアラビア語なんてしゃべれねえのに良くこんな旅するねえ~と思ってたら、バックパッカーの半分くらいは流帳なアラビア語をしゃべってたので少しショックを受けた。

帰りの高速船は速かったけど出港時間が3時間くらい遅れたから関係なかった。

船の中では隣のレバノン人が気になるドイツ人のお姉さんに話しかけるのに協力させられた。

そのドイツ人のお姉さん(アンマン在住でアラビア語ペラペラです)とバックパッカーの台湾人のお姉さんにこれからアンマンにいったら深夜に着くから今日はアカバに止まったらといわれたけど、アンマン行きのバスに誘惑され乗り込んだ。

最悪だった。

夜の十時なのに横のおっさんは豆をぽろぽろこぼしながら大声で僕をはさんで逆隣りのおっさんとそして僕の真後ろのおっさんとしゃべるしゃべる。

お前は修学旅行中の中学生か!

とっこみたくなるくらい深夜バスで興奮してるおっさんども、ほんと迷惑

で朝の3時にアンマンに到着。

次の朝の7時、ダマスカス行きのバスに乗るためにそのバス停の近くの宿をさがすことに

開いてる宿をみつけ、フロントで熟睡していた若者をたたきおこし。

「1部屋いくら?」と聞く。

「16」

ファック!4時間のために16なんか払えるかボケ!という気持ちだけを抱え、ベットに戻ってうとうとしている彼に

「朝までロビーにすわっててもいい?」と聞く

完璧に目を閉じていた彼は「いいよ」と寝ぼけながらいう

きっと彼の記憶に僕はいないはずだ。

バスにのりこみ、ダマスに帰る。

途中でバスが故障するというアクシデントにみまわれるも運ちゃんと助手だけで修理してしまった。

ということで無事ダマスにつきましたとさ、めでたしめでたし。

あと余談ですが、昨日、ネットカフェに行こうとしたらシリア人の10歳くらいの女の子に握手を求められ、

「made in China?」と質問を受けたので思わず、

「made in Japan!」といってやりました。僕は外国製ではないのであしからず。

ふー、やっと終わった。

アラビア語でのプレゼンの準備でもしますかね。

2009年4月23日木曜日

プチジパング発見しましたパート2

さてさて、11時くらいにアカバにつき、港へ

すっかりすぐにフェリーに乗れるものと勘違いしていた僕はお巡りさんに

「どこに行けばいいの?」と聞く

お巡りさんはこう答えた

「ここで1時間くらいまてばバスがくるよ」

はああああ~!!もう深夜12時なんですけど!!!!!!!!!

周りにはアラブ人しかいないこの環境

誰かが「お~い、バスが来たぞ」とオオカミ少年的発言

みんなずらずら並ぶ、僕も並ぶ

大きな荷物をせよっていたので

「国に有事が起こったときの国外退去ってこんな感じなんかなあ~」

と思いをはせる。

バスは待てども待てどもこない

しょうがないから地面に座り込み遅すぎる夕飯をとる。

バスが来た。

乗る。

パスポートチェック

「おまえ、出国のスタンプねーじゃん!」とサツがいう

いそいで取りに行く

出国税が5だけかかることを知りポッケをまさぐる。

5ちょっきしだけある。たすかった~。

あせっていって無事船に着く。

中に入るとあることにきづいた。

イスガナイ!!!!!!!!!
(ナイスガイをうちまつがえたわけではありませぬ)

メッカ帰りと思われるくっさいエジプト人がそこら辺の床にころがっているではありませんか。

しかたがないのでレストラン???に入り、5ドルの意味のわからん弁当を買ってふてぶてしく居座ることに・・・・

さてさて、地球の歩き方にはエジプトのヌゥヱバまで三時間と書いてあります。

ここで問題です。僕はエジプトに何時についたでしょうか?

考えてみよう・・・・・・





正解は朝の9時につきました。

いや、意味がわからん。でもこれが中東なのです。

途中で寝過ぎてアカバにもどっているのかと思ったくらいです。

エジプトのN本君にこの話をしたら

「なに?波の流れに身をまかせたの?」という貴重なコメントをいただきました。

ということでパスポートが帰ってきてないことに半切れになりながらも港につき、バスにのりこんだ。

そして、カイロに9時間後につくのですがこの後は休みの日にでもかくことにします。

ヤッラ、バーイ

2009年4月21日火曜日

プチジパング発見しました

帰ってきたね。日本では旅行いって「やっぱ日本が一番だね!」

っていってる人に「それだったら行くなよ!」と過激派発言してたけどあえて言わしてもらおう

「いやあ~、ダマスが一番だね!」

僕はすっかりダマスっ子になってしまったようだ。

さて、そんなダマスっ子がおくるショート・・・・

いやいや、旅のお話

中東の旅を一言で片付けるとしたら「ヤー・サラーム」(驚いたときに使う表現です)だろう。

なにかとそんなできごとばっかり起こるのでやめられない、とまらない、カルビーカッパえびせん

ではウルドゥンのお話から

ダマスからパスで4時間ほどの場所にその国の首都ピザマン、いやいや、アンマンがあります。
(ちょくちょく寒いぼけかまして行くから覚悟しとけよ)

バスがついたらタクシーのおじさんがうようよ、よってくるけどそんなのはムシムシ。

スイス人バックパッカーカップルと2キロくらい荷物をせよってホテルまで。

きったねーホテルについたらおじさんと交渉バトル開戦

おじさん「この部屋は10ディナールだよ」

僕「たっけーよ、もって安いのがいいんだよ」

お「安いの探してるの!?じゃあここだね」

屋上につれていかれる

僕「・・・・・」

おじさん「ここなら3だよ」

僕「向こうのホテルは2っていってたよ」(聞いたことないのに)

おじさん「じゃあ1にしてやるよ。でもそのかわり他の奴来たら横に寝かすからな」

僕「そ・れ・で・い・い・よ・・・・・」

ってことで屋上にとまることになりました。

二日目はバハル・マイトゥ(死の海)へ

ホンモスをロビーでがっついてたら今から死海に行くんだ~。と話してるイギリス人発見。

僕はしゃべりかけた「えっ!死海行くの????」

トムって感じだったからこれからトムと呼ぶことにしよう

トム「そうだよ。今から行くよ。きたいならすぐに用意しな!」

あんざ~す。って感じでついていきました。

でもでもでもでも、着いたら。

「もうツアーは満杯です。」

はいはい。そうですか、では他の方法をさがすことにしよう。とおとなしく引き下がってみました。

そしてバス会社で次の日のバスと12時出発のフェリーを予約して路線バスで行くことにした僕

水着を激安で買い、バス停へ

「このバス死海にいくの?」といつもするおきまりの質問

ウンちゃん「ああ、途中までな」

乗客が平気でたばこの灰を地面に落とすようなバスに揺られること1時間

「死海に行くにはここで乗り換えだよ。」とウンちゃんが教えてくれたので降りた。

タクシーのおじさんはよってきたけどえげつない値段をふっかけてきたので軽くあしらい死海まで行きそうな車を待つことに

そして1台の車が僕の前に止まった。きっと白タク(車は赤いおんぼろの車だけどね)だな~と思い、近寄る。

僕「死海までいきたいんやけど?いくら」

う「3だよ」

僕「2だったらのってあげる」

う「じゃあ2でいいよ」

ってことで乗りました。

う「死海のどこ?」

僕「アンマン。ビーチ」

う「どこだよ。俺アラビア語しかしゃべれないんだよ。」

僕「おれもフスハーしかわかんねーよ」

う「ははは、けっこう、けっこう」

ちょっと仲良くなりました。

そしてビーチに到着

僕「ありがとうおじさん」

う「ここのビーチは高いからおれが交渉してやるよ」

親切だけど案の定公共のものは安くなりませんでした。

死海はどうだったって?ぬめぬめしてたよ。

少しリゾートを満喫して帰路はタクシーを金持ちベトナム人とシェア

その内容は過激なので割愛させていただきます。

さて次の日のフェリーのお話はまた明日、

今日からまた地獄のアラビア語生活が再会です。はあ~

2009年4月9日木曜日

ハラース!!!

終わったー!!!!

一タームがやっとおわったよ~。

ここで1ヶ月を振り替えてみよう。

最初の一週間は死にものぐるいで勉強して授業中は泣きそうになってたなあ~。

めっちゃ鬱状態みたいになってたし

シャイウン(thing)というアラビア語の複数形のアシアというアラビア語を覚えてなくて

ほんとに

「先生なんで芦屋、芦屋っていってんだ!?」と思ってたレベルだ。

でも、2週間目くらいから先生が何を言ってるのかわかるようになってきて

いまは買い物をしてお店の人とフスハーで談笑できるくらいかな。

あと、今日の面接で「チェ・ゲバラについて話して」

といわれ、「え・・・・」

と固まってしまいました。

あと、しゃべる授業で必死に国作り神話をアラビア語で説明したっけな。

考えてみたらこの1ヶ月は長いようで短かった。

きっと約1年の留学生活もこのように過ぎていくのであろう。

最初の方は早くおわんね~かな~

と思ってたけど、今となってはクラスの友達とかは国に帰っちゃう(タームの期間が短いからみんな大学の休みを利用してきてるらしい)から寂しい限りだ。

あと、きたばっかりのときはほんとにもうちょい日本にいればよかったと思ってたけど

いまになっては1ヶ月遅かったら全く簡単なアラビア語も話せてなかっただろうからよかった。そして英語能力が飛躍的に伸びたきがする。

で、明日からヨルダン、エジプト旅行に出発だ~。

でもアラビア語ばっかやってたから全然計画が建てられていない。

よし、ヨルダン行きのバスの中で地球の歩き方でもみて計画をたてよう

いまはヨルダン行きのバスがどこから出てるかすらしらないけどね。

まあ、誰かに聞いたら教えてくれるだろう。

こっちに着て覚えた一番大切なことをおしえてやろう。




人生、結局どうにかなるもんだ。



エジプトの方々、僕の到着をこころまちにしといてね。

2009年4月3日金曜日

金曜の朝

ぼくは金曜日が好きだ。

この書き出しはあのKO大学にAO入試で受かった友達が出願で書いた文をまねてみたものです。

ちなみに彼は書き出しで「僕は散歩が好きです。」と書いて受かってしまったそうです。

金曜日はこちらではウトゥラ(休日のこと)

ダマスカスというシリア1の大都会の中で普段はさらに一番こみあっている場所に住んでいる僕なのですが、金曜は静かにときが流れている感じ。

そして、朝起きてタスクはお散歩にでかけた。

今日は「チン・チャン・チュン」と意味不明な中国語を投げかけてくる若者もいない。

心おだやかなタスク

気持ちがいいので、いつもと違う散歩コースをとってみたようだ。

おやおや、こんな時間からお菓子屋さんが開いているではありませんか。

買おうか・・・・

いやいや、と最近メタボが気になる21歳のタスクはぐっとこらえる。

シタデルから出て、地元の人がお買い物をする市場を通る。

なんて旨そうなんだ!と思うタスク

そう、シリアは野菜や果物が異常なほどうまいのだ。

そういえば、野菜があまり家にないことがないことに気づいたタスク

そう、タスクは自炊をしているのだ。

トマトとキュウリを半キロずつ購入

気になるお値段は・・・・

ダラダラダラダラだん!

両方で70円な~り~。

ふと、レモンもほしくなるタスク

シリアでは日本で酢を使う代わりにサラダにレモンをかけてドレッシングにするのだ。

おじさんに

「一つだけほしいんだけど、いくら?」ときく

おじさん「いいよ、もってけよ。」

タスク「ほんと!」

ラキラッキー!!!! フー

なんとレモンのおまけをもらっちゃったタスク

早起きは三文の得といったものである。

こんなさわやかな朝を迎えたタスクなのでした。

さて、ここでアラビア語科の人に問題です。   

ダラン!

トマトとキュウリ、アラビア語ではなんていうでしょう?

あと「早起きは三文の得」をアラビア語に訳しなさい。

一問目は心のなかで、二問目がわかったかたは僕のメアドまでメールしてください。
(そういえばこないだ出た課題で「一期一会」をアラビア語に訳して意味がわからない文になってしまいました。)

2009年3月28日土曜日

テンプラってなに?

僕の住んでる家、僕以外全員スペイン語しゃべれるんです。

で、やたらと「テンプーラ」というスペイン語が聞こえてくる。

スペイン語に心得がある人、これをよんだら僕にすぐメールをください。

気にな・・・・・

るけど夜はぐっすり寝てます。

さて、今日中間テストを終わった。

1ヶ月に二度テストがあるという過酷なところなのです。

まあリスニング以外はマーフィームシュキラかな(笑)

アラビア語がわからない人は自分自身の解釈で理解してくれていいです。


最近、夢のなかにアラビア語がでてくるようになってきた。

しかも英語もなんか普通に出てくる。

そしてアラビア語でめっちゃしゃべられて

あ、あっ・・どうしよう!わらん????

と思って、朝を迎えるのです。

どう?こういっためざめ??

そういえば昨日からサマータイムが始まりました。

なんか日本はないものなので変な気持ちです。

サマータイムだと知らない人が続々と遅刻してました。

僕は日本人から教えてもらうという失態をおかした。

しかも、先生の日のせいで今週は週休一日です。


日本では週休五日が可能なのにこの休みの少なさは僕を殺すつもりですか?

そういえば今日のアラビア語作文で

「日本人は雪合戦をやってるときは相手を殺す気でやります。」

と書いてしまいました。 いんしゃあっらー

日本人の皆さんどうもすいません。

こんなとこです。

2009年3月22日日曜日

食文化にたいする考察1

いつもあほみたいなことを書いているのでたまには真面目な考察を

このところ思ってるんだけど、食器の発展にはその国の主食が関係してるんじゃないかってこと。

なぜそんなことを考えたか、っていうとアラブ圏では基本的に主食はパンでしかも平焼き(イースト菌をいれないからふくれないやつね)のパンやねん。

平焼きのパンやと大抵のものをすくえたり、はさんだりできる。

ゆえに手が大してよごれないのであ~る。しかも一日をおいた硬くなった平焼きのパンは再加熱してもあんまりおいしくなるわけでもないので汁気のあるものにつけるとおいしくいただけるわけだ。

考えてもみて、日本の米を手づかみで食べたらどうなる?

手がねちょねちょになるやん!だから設置面の少ない箸が使われてるんじゃないの?

という勝手な仮説を考えてみました。

卒論のテーマに困ってる方、いかがですか?ぜひ使ってみてください。

ちなみにフランスで食べたフランスパンはおいしかった。

ここでのパンも日本のパンよりなんだかおいしい気がする。

日本の米がうまいのと同様に世界中で主食は基本的にうまいんだな~と思う今日この頃です。

あと食文化に関しての小噺をひとつ

先日、フールという豆をパンにつけて食べる料理をシリア人と食べてたねん。もちろん手づかみでたべてました。

でもそのシリア人、僕が食べてる姿をいぶかしそうに見てるねんなあ~。

なんでやろう。ってよく考えてみたら僕が左手で食べててん。

右手に持ち替えたら納得した感じになったから正解やったんやろう。

食事時やったら悪いねんけど、こっちでは、今はどうか知らんけど、大をしたあと、尻をふくときは水を流しながら手で洗うらしい。

そしてそのときに使う手は不浄とされている左手。

だから握手するときも右手でするし、もちろん食べるときも右手になるわけだ。

もっとコアな話をすると食べるときに使っていいのは基本的に右手の親指、人差し指、中指だけらしい。

中東にきたときはぜひ実践してみてね。

以上、もうアラビア語学生の中東、ためになったね~、ためになったよ~。話でした。

2009年3月19日木曜日

たすくがダマスで○○ちゃんにであった~

マルハバン、ケイファック?

明日は先生の日という日のためお休みです。

やったー!

思わぬ休みより幸せなことは、朝遅刻したー!と思って起きたらその日が休日で二度寝できるときくらいだろう。

アラビア語にそろそろ殺される気がする。

さて、また街で驚いたことで悪いんやけど

今日バスにのってたんだ。

すると、ふと舌を出したマネキンが目についた。

いやいや、これは珍しいと凝視

するとあることに気付いた。

あれ、これ、あれ・・・・



前世、ぺこちゃんだよね?????




そうなんです。ペコちゃんの目を西洋人風に塗り替えただけのマネキンだったのです。

驚き、桃の木、山椒の木。なんと奇妙キテレツなものがこの世の中に存在するのだろうか。

あまりの驚きのために帰りは歩いてじろじろ見てしまいました。

そういえばバスのなかにナイキとドルチェ&ガッバーニのロゴが両方ついた服を着ている人がいました。

おっしゃれ~。

違う、違う、

どっちやねん!

と大阪人やったらつっこみたくなる代物です。

しかもナイキのチェックマークの方向、もしかして逆じゃね!?

こんな街です。

2009年3月18日水曜日

あたまが・・あたまが・・・

学校がはじまった。

むずい

アラビア語で頭がはち切れてしまいそうだ。

周りのみんな、めっちゃできるやん。

いったい僕はなにをしてきたのだろう。

と打ちのめされた気分でいっぱいだ。

受験期にもこんなにべんきょうしたことがないのに・・・

基本的には朝起きてから寝るときまでアラビア語

アラビア語漬けというDSのソフトを発売したらアラビア語をやってる人間には馬鹿売れすることでしょう。

そこの君!アラビア語をやっている日本人はそんなにいないだろうとせせら笑っただろう!

それが意外なことにアラビア語科以外のタフな日本人がたくさんいることが判明しました。しかも短期間でアラビア語科の人間よりできるんだよ。

あせりたまえ、はっはっはっは。

っていって一番あせっているのは僕です。

そういえばDSに関連しての話やけど聞く?


今日、街を歩いて。「あっ!プレステがある」と思ってた。よくよく見たら


ゲームステーション

って書いてあった。

パチモンにもほどがあるだろうが。
イスラム教の女の人が着る服知ってる?

アバヤっていうんだけど、その背中にビーズC・H・A・N・E・Lって書いてあった。

あの~、シャネルさんからのクレームは怖くないのですか?

あとピンク色の服に印刷してしまったからだろうけどパチモンのミッキーは目が血走ってて怖いし、パチモンのドラえもんもいる。

スークハミディエという一番ダマスで栄えている商店街はパチモン天国、一度はおいで。

2009年3月11日水曜日

えっ!おまえ・・・

マルハバン、ケイファック?

最近妙にいそがしい

昨日は朝からクラス分けテストがあった。

リスニング、文法、読み取り、ライティング、面接だ。

俺は三年間何をしてきたのだろうか。




わからん!!!!!!!!!!!!



激むずいんですけど

だから毎日続けてたアラビア語の自習もさぼっちゃったよ。

ほんとアラビア語が嫌いになったね。



で今日のことだ。

入管に出向いてやった。ビザの延長のためにね

キラキラなお兄さんはいなかった。

まだ係員がきてない、とかたらい回しにされたあげく一番のお偉いさんのサインをもらうためにその人の部屋へ・・・・



PSPやってた




しかも俺がいったら「あ~あ仕事か」って感じでセーブしやがったの


はあああああ~!!!!!

驚きだよ。しかもテレビつけながら

まああなたの仕事はサインするだけですけどそんなに暇なんですか???

ていってやりたかったけどアラビア語ではいえんし、ビザほしいから。

で、無事もらえた。所要時間1時間くらい、日本なら10分あれば十分だね。

車は人間引きかけるくらい急いでるくせに、役人さんはのんびりだ。

今日から勉強やりなおします。

マアーサラマ

2009年3月9日月曜日

キラキラ

写真あがってないようですね。

なんかこの国はブロガーに関して冷たいみたいです(笑)

あとコメントも読めないので書いてくれてる人ありがとう。でもごめん。

今日、入国管理国にいった。

こっちは旅行用ビザでは15日連続までしかおれへんねん。

まだ大学が長期滞在用のビザの資料を作ってくれないのでしゃーなしでいった。

で、そこの係のお兄さん(に、しとこう)の服がスパンコールがついたYシャツ???を着ていた。

国の役人やで!

胸元あいてるし、ジーパンだしいくらなんでもラフすぎるだろう。

そして、明後日の朝8時にこいだって。

はい、はい、わかってましたよ。

いつもあなたたちはそうなんですから

わざわざ行ってあげてるのにー。

そして明後日の朝はクラス分けテストです。

2009年3月4日水曜日

ダマスカスは今日も雨だった

これが家からみえるダマスカスの風景だよ

イスラム第四の聖地や世界で初めて殺人が行われた場所などなどが写ってるとおもう

規制のせいで確かめられない。


毎日雨が降る。傘もってくればよかった。あれだね。親の意見となすびの花は・・・

ってあれのことだよ。

迷い癖がなおらん

今日は語学学校に申し込みに行こうと思い、メッゼという新市街の方へ

セルビスにのり、マアハドというとおっさん首を横に振った。

不安になりながらのってると、あれ・・ 大きい道からそれてるぞ!?

ここで! といってカナダ大使館のとこでおりる

まあ道なりにいってたらわかるかなあ~と思い、歩いていると

あれ・・・ ないぞ

探しても探してもない

とうとうダマスカス大学のメッゼキャンパスに

ここはインターネットカフェにいって情報を手に入れてから立て直そうと思ってタクシーに乗る。

タクシーの運ちゃん、超陽気でめっちゃしゃべってくる。しかもアラビア語で。

必死で答えてやったよ。

どうにか会話はなりたった。

「少しアラビア語しゃべれるんだね。どこで勉強したの?」と運ちゃん

しゃべれねーと思うんだったらしゃべってくんじゃねーよ。とブラックたすくちゃんがささやくが「日本だよ」ってちゃんと答えてあげたよ。

くそー、3ヶ月後には超難しい質問してやっからな!!!おぼえてろ!!

でもここ数日、手続きが忙しいのと時差ぼけのせいでアラビア語勉強できてないんだよね~。

なにせ一日12時間は寝てるかな。

しかも午前四時ごろにモスクからコーラン流れてくるんだよね。ほら、家、イスラム教第四の聖地、ウマイヤドモスクがめっちゃ近いから。大変わるいんですけど迷惑ですよ。

あっ!それで後で一緒に住んでる人に聞いたらなんかサウジ領事館っていえばいけるらしいです。

まあ調べが悪いおれが悪いんやけど、でも、でも

こっちの住所って道の名前だけなんやで。

だから郵便配達ってものは存在しません。

今日、郵便局に私書箱かりにいったらお金払ったあとに「木曜日に来い!」だって。

鍵ぐらい一日で渡せるだろが!こら!

でも優しい日本人の僕は黙って待つことにします。



あとダマ大で勉強することになりそうです。エイズ検査の結果は明日でます。

2009年3月2日月曜日

住居

画像のってるかな?

今すんでいる家の写真なんだけど・・・

旧市街のど真ん中にあって観光名所の中にすんでいるような感じです。

日本でいうならば京都の東山って感じだね。

日本では批判してたけどsky〇ーポとシステムは一緒で風呂、トイレ、台所、サロンは共同なんだ。

一緒に住んでいるのはスペイン人と南米からの人とシリア人でなぜかみんなスペイン語がしゃべれるし、とってもいい人なんだ。

問題はくそ寒いのとあとはどう考えても日本では違法建築になる建物なんです。

地震がもしあったらまずおれば一番初めに死ぬことになるんだろうな。

あとは学校決めるだけだ。

早くきまるといいな。

2009年2月28日土曜日

家みつかっちゃった。

ブログにアクセスできないんですけど・・・

家みつかっちゃいました。

旧市街の中で迷路のど真ん中にある家

行き方わかんねー

明日いけるかな???

しかも俺の部屋きたない

また写真のせます。

2009年2月22日日曜日

ざまあみやがれ(^o^)



おっかさ~ん!シリアのビザがきたよ~。

いやいや、なんとかなるもんですねえ~。最低1週間ていわれてたのにね

1日ですよ、1日!(まあお金は多めにはらいましたけどね)

しかもマルチの6ヶ月。レアな物を手に入れた気分ですよ。

これでレバノンにも行き放題ですよ。ありがとうエージェントさん

フランスからシリアにこれで安心していけます。

2009年2月19日木曜日

ビザ取得

なにも書いてないと寂しいので

今日まで東京にいってました。

東京といえばくるりの「東京」っていい曲ですよね。

まあいいです。

羽田に着き、泊まるところに荷物を預けてシリア大使館にむかったわけです。

ほっそい道の向こうになんか普通の家が見えた。でもおかしい、シリアの旗が掲げてある。

そう、そこがシリア大使館なのです。

で、ブザーを押そうとしたら書いてあった。

「ビザの受付は午前中だけです。」

・・・ガァーン!!!!!

今は1:30・・・・        だれかぁー ヘルプ!!!

ってかんじ

しかし、留学が差し迫ってるのだ。ここは食い下がらねば。

勇気をもってブザーを押した。

「ピンポーン」

シリア大使館職員「はい」

僕「あのー、ビザのことでうかがったんですけど・・・」

シ「入ってー。」

重厚そうなドアのロックがとける音がして入る

普通の部屋に入ると部屋の正面にアサド大統領の写真が・・・(その瞬間からびびりぎみ)

僕「あのー・・・ ビザのことで・・・」

シ「ちょっと待ってて!(怒)」

僕「あっ、はい」

おっさんの仕事が終わるまで待機

シ「はい、どうぞ」

僕「あのー、ビザのことで大阪からきたんですけど。どうにかならないですかね。」

シ「無理ですねー。」

僕「もうチケットとってしまってて、あと1週間しかないんですよね。」

シ「あー、チケットをとる2週間前には申請していただかないと」

オーマイゴッドトゥギャザー、激あせる僕

僕「そこをなんとか・・・」

シ「無理です。」

僕「大阪からきてるんですよ!」

シ「知らないですよ!じゃあエージェントに頼んだらいいじゃない」

といって名刺をぶっきらぼうに出される

僕「メモってもいいですか?」

シ「どうぞ」

必死でメモり、ありがとうございましたといって退室。

東京ミッドタウンの裏で超焦りながらエージェントに連絡。

「まずは電話しなきゃ駄目じゃない」と外国人のおばはんにプチ怒られる。

で、いろいろ連絡してもらい、奇跡的に出発までにビザを発行していただけることになりました。 よかったけど絶対業者癒着してるよ。日本語でいうと袖のしたってやつよ。

でもシリアのことやからめっちゃ不安です。出発までに僕のパスポートとビザは果たしてくるのでしょうか??

そのあと、あるようがあって上野に行くも30分くらい道に迷う。

散々だよ。

でも東京は結果的に楽しかったのでよかったです。

ちょっとシリアいくのがいやになっちゃったなあ~。

2009年2月11日水曜日

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暇になった書くのでちょくちょくおいでやす。