大変ながらくお待たせしました。
いまイエメン情勢が不安定のため私は日本でまちぼうけー、まちぼうけー
あー、うさぎ飛んでこうへんかな??
といった日々をすごしています。
まじ暇
さて、今回の旅でなにをしたかというと人の家でとまったり、人にご飯を食べさせていただいたりと本当に人の温かさを知るハートウォーミングな旅でした。
以下が詳細です。
2月某日
私は関空にいた。
ウズベキスタン行きのチェックインカウンターで列に並ぶ
するとそこには、あれまあ、たくさんの若者たちがいるではありませんか
しかもみんな小ぎれいな服装をしていて、私のようなださいくて汚いバックパッカー姿とは雲泥の差だ。
そんなにウズベキスタンって人気があるんかねえ?
と思っていた。
すると彼らの手にあるパンフレットには「トルコ」という文字が・・・
少しうらやましい
でもそこはぐっとこらえて
ふん、坊やたち、まだまだお子様でねえ~
と気取ってみたりしたりなんかしちゃって
まあ本当はお金がないだけなんですけどね
初めてのったウズベキスタン航空はそう悪くはなかった。
しいていうなら一番後ろの席にされたのだが、そこには乗務員によって買われた免税品の山が・・・
でもよくあることです。
半分ぐらいはぐっすり寝て念願のウズベキスタンに朝の5時到着
そして今回の旅は時間がないのでブルジョワジーに国内線を利用(っていっても4000円くらい)
8時には北部のウルゲンチという街に到着
とにかくさぶす、さぶすなところで手が凍り付きそう
でも今日の目的地はそんなとこではなく、ヒバという車で1時間の昔どっかの王国の首都だった城壁都市が目的なのだ。
言葉はわからんがタクシーのおっちゃんと交渉
少し安くなった感じで出発
途中で軽自動車みたいな車なのにおっさんがのってきて苦しい
で到着
まちはタイムスリップしたかのような土作りで、王宮のなかはウズベキスタン独特の青タイルで装飾されておりなんとも鮮やかな場所であった
ただ、移動するたびにおばちゃんが入れ替わり、立ち替わり現れ、
上にのぼりまへんか?
でも別料金でっせ。
的なことをいうので貧乏な私は全てはねのけた
そして城壁内を抜けるとバザールが広がっていた。
ナンという名前のウズベキスタンのパン、肉、日用品、服といったものが売られている
お腹がすいた私は店の前でつくられているポロウ(ピラフ)のかおりにさそわれ、汚い店内に・・・
するとそこにはむき出しのガスバーナーに直接あたっているおじいちゃんが・・・
おじいちゃんがガズバーナーで燃えないかハラハラしつつポロウを食べる
う、うます
うますーーー
な味わい
少しあぶらっこいがそこがまたいいのである。(こら、どっかでだからお前は××なんやでっていってるやろ!あまんじてうけるぞこの野郎)
その後バザールをぶらぶらしてウルゲンチにむかい、すぐにブハラへむかおうとする。
ウルゲンチにつくともうバスがない時間であった。
タクシーのおっさんたちをはらいながら、列車の駅やバスターミナルに行くがどこにもブハラに行くものはない
そこでなくなくにやにやしているタクシーに乗ることに(ちくしょーーー)
しかし待てどくらせど他の客は集まらない
それもそのはず、夕方にのったのだがブハラまではくるまで約6時間
ということは真夜中についてしまうのだ。
そしてくそ寒いなか待っていると運ちゃんが
100ドル出すなら今すぐいくぜ
っていいだしたがそんな金はどこにもない
そうしてるともうあたりは真っ暗、ホテルの心配をしていたら運ちゃんが
今日は俺の家に泊まって明日の朝、連れて行ってやるぜ
って言われた
えっ?いいんですか?
ととまどいながらも家に到着
暖かいスープが出てきた。
そうしてると台所に連れて行かれてポロウの作り方教室がはじまる
そのあとなぜかお父さんの肩をもませれることに・・・
でもお父さんでかすぎて筋肉に到達できない
ロース肉をもんでるような感覚だった
で、停電がおこりぼーとする
停電がなおるとポロウができあがり深夜にみんなで食べた
翌朝
定番の紅茶とナンに蜂蜜やジャムをぬって食べて、いざブハラへ向かう
たすくははたして・・・・???????
それは明日のお話、お話
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