週3回、朝の会議の準備、議題整理を担当している。
最近、議題から脱線して、時間が長引いてしまうことが多々ある。
そのときに、よく聞く意見がこれだ「あーゆう、人たちは人の時間を取っているという自覚がないんだ」
私も、あー、議題違うんだけどなー、早く終わらないかなーと思い、人に上記の意見は言われるたびに苦笑いをしてします。
社会的にはその通りの意見だけど、ふと自分では「時間」ってそんなにないものなのか?と思ってもいる。
特に、時間がなかったからできなかった、という良く使われる理由は、時間が制約されるテストにだけ使ってもいい理由で、その他の状況では「やる気がなかった」あるいは「漠然と答えがわからなかったので、できなかった」のだと思った方がいい。
時間ってあるんだと思う。忙しいからそこまで手が回らなかったということもあるけど、仕事だったら、時間制限って結局めどをつけるため、便宜的につけていることが多いので過ぎてもやりきるれることって結構ある。
だから、時間を奪われているのは錯覚で、要は当初の想定とは裏腹に話が脱線することによって「不快な時間を他人に強要されている」のがどうにも我慢ならぬ。というのが正しいのではないだろうか。つまり人間は自分で自分の時間の過ごし方を支配する、あるいは自分で選択した時間(or 選択したと思わされている時間)の過ごし方をできてなれば不快に感じてしまう生き物なんだなーとふと思った土曜であった。
そう、そしてこんなことを書いている私は、やろうと思ったことが全く手につかないので、自分の時間をこれを書くことを選択したつまり、有意義な時間をすご・・・しているのか?
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