ちゃーす
おひさしぶりぶりぶろっこりー
僕も他の人と同様に更新をさぼっててすいません。
でも期待されるとだめな子なので許してちょ
新しいレベルも始まり、毎日グロッキー状態です。
このことをダマ大にいる日本人にいったら「ダハブでダイビングをしていた天罰だ」的なことをいわれました。
神様ごめんね。許してちょ
来週からは授業内容を簡単にして、宿題を減らしてくださ~い!
アッラーにこの叫びは果たしてつうじるのでしょうか?
まあいいや。くれぐれもいっときますが別にそんなにアラビア語を死ぬほど勉強してるわけではないからね!
こっちで先に留学している同期にあったけどみんな(○っちとか黒ずくめとかなっ○―とか)すごいレベルにいっているのではっきりいって自分の成長のなさにショックを受けています。
(詳しい内容はアラビア語科の人だけにわかるようにアラビア語で書きます。辞書なしなので間違ってたら許してね。)
لا سيما موتّي, قابلتها في دمشق و تكلمنا في اللغة العربية قليلا هي تتكلمها بطلاقة. صديقي السوري كان يتعجب منها أيضا.
さてさて、恒例の愚痴はほどほどにして
いってきました。
ダハブに
これで僕もアドバンスダイバーです。
実はダイビングのライセンス、思ったより大変です。
毎日100ページくらい教科書を読んで、車の教習所より長いビデオをみさされます。
オープンウォータのライセンスを取ったときは
「もうこれでいいかな~」とも思ったけど
よかった、アドバンスまでとって。
深海30メートルは異世界です。美しす
もう遺跡とかに飽き飽きしていましたが今度は海中遺跡へのダイビングに挑戦したくなりました。
つまらない話はさておき
帰り道におこった出来事でも書きますかね。
今回もやっぱりバスと船でエジプトまで・・・
行きはスローすぎるボート(9時間って・・・)に乗るのですが帰りは体力的にファストボートに
前にも一度体験していたので
「乗り込むのは2時やけど出港は6時くらいなんやろうなあ~」と思って一眠り
ふと目が覚めるともうボートは動き出していた。
「なに!もう6時か、めっちゃ寝たやん!」と思って時計を見ると3時半
私は一瞬自分の目を疑いました。いやなにかの間違えに違いないとも思いましたがやっぱり3時半なのです。
き、きせきや!
なんとイエスが死から復活するぐらいの奇跡がおきたのです。
中東で時間通りに船が出港している・・・・・
というわけで6時くらいにはヨルダンの税関も通り抜け、今日中にダマスに帰れるのではないだろうかとほのかな期待を胸にいだいたわけです。
これが大きな落とし穴でした。
税関を通り抜けたところでセルビスの客引きのおっさんに
「どこまで?アンマン?」と聞かれたので、うんとうなずくと手をひっぱれれました。
「いくらなの?」と質問をしたら10ディナールと言われたので
「ファック!そんな額払えるかボケ」とは言いませんでしたが
「それやったらバスにのるわ。」といってさろうとすると
おっさんが「まて、まて」といってきた。
やった。これを期待していたのです。
「これは値引きされるパターンや。らっき、らっきー!」と思い
いくらなの乗るのかといわれたので8と答えました。
あまり低くいうとヨルダンやシリアの人はなめてるんか?と思われて交渉ができなくなるので物価を理解していると示すためにも正当な額をいわなくてはなりません。
この額の根拠はアカバからアンマンまでの大型バスが5でムジャンマジュヌーブからアブダリまでのタクシー代が3、前にきたときにかかったので併せて8だと僕は損をしないわけです。
そして粘っていると8になりました。
「おっさんは4人乗ったら出発するから」といいましたがこれが大嘘
結局10人乗りました。
僕は助手席でデブでくっさいおっさんと運転席に挟まれた真ん中に座らされるはめに。しかも大きな荷物を膝に抱えながら・・・
あれや、これやで出発したのは7時、アンマンからダマス行きのバスがなくなってしまうので時間がない温厚なマツムラくんもさすがにイラッとくるわけです。
しかも運転手は悪びれる様子もなくアラビア語を少ししゃべれる外国人を珍しがってしゃべってくるわけです。イラ2
ガソリンがなかったのかガソスタに入り、ガソスタ付属のスーパーで買い物を息子とする運転手。人生で初めてクラクションを押しました(運転手を呼ぶためにね)。イラ3
そして、前を走っていたバスを追い越すために対向車線に出て追い越し、すると前からもスピードの車が!
はっきりいって死を悟りましたがなんとか回避。これはイラの対象外、恐怖ですから
100キロ以上で走っていると今度はスピードチェックをしていた警察官につかまってしまいました。おっさん、罰金を30払わされる。
そうこうしているとアカバの検問所に到着
もう、アンマンにはバスの時間までにはつかないと悟り、開きなおって、イライラは解消。するとおじさんは怒りが消えた僕の顔をみてお菓子をくれました。
ハンドゥリッラー
それからこっくりこっくりととても狭い空間(横のおっさんに押しつぶされそうな空間のこと)で居眠りをし、運転手がトイレ休憩といった。
うそこけ!
おっさんと息子の夜ご飯タイムでした。
乗客もみんなイライラ
でもおじさん、急ぐ様子なし
そしてようやく車が動き出し、横の運転手のおっさんをふとみると
左手には携帯、右手にはタバコとコーヒー
あれ?ハンドルは?
当然持ってない
な~に~、やっちまってるな!
僕はいつでもハンドルを握れる心の準備だけはしていましたが、まあなんてことなくすすみました。
そして、途中で道ばたに車がとまり、行き先によってセルビス同士で客の入れ替えがおこなわれました。
僕は違うセルビスに移るはめに
「これでようやくこのデブから解放だー!!!!!」と思ったのもつかの間、
違うデブの隣りに。そう、アラブ圏ではおっさんとおばはんは大抵、コロコロのデブです。
おねがいです。ダイエットをしてください。
と思っているとアブダリについた。セルビスを降りると運転手のお兄ちゃんに10払えっていわれました。
そう、お兄ちゃんは知らないわけです。
僕は経緯をなんとか説明
でもお兄ちゃんは「みんな10だ!」といってきたのでキレたふりをしてやりました。
そう、こっちでは先にキレたもん勝ちです。
しかも、こっちには時間という人質があるわけです。
もう最後のバスもとっくに出てしまっているわけなので僕にはたっぷりと時間があるわけです。
でも運転手はほかの乗客を送らないといけないので客が怒る前に話しをつけなければいけないのです。
結局8になりました。
そして運良く横にダマス行きのタクシーが
客も僕以外に3人そろっているので僕が乗り込めば出発というわけです。
らき、らっきー!
深夜12時、バスよりは高いけどホテルに泊まるよりは安いので乗ることにきめました。
すると横からフー、フーと鼻息が聞こえるではありませんか。
そうです。後部座席の真ん中には太って、鼻が詰まっているくさいおっさんがいたのです。
勘弁してください。
と思いつつ。横のデブにプレスされながら国境へ
しかも僕はくそ眠たいのにおっさんは興奮状態でアラビア語をしゃべる日本人が珍しいのかめっちゃしゃべりかけてくる。
うるさい、太い、くさいの三拍子そろった攻撃でせめたててくる。
マツムラくん、ダウン!
そうこうしてると朝の3半時頃にダマスに到着、そこに運良くそんな時間にセルビスがきて旧市街に
愛しき我が部屋に到着したのは4時半ごろでした。
意外に早くついた。
そして次の日から学校が始まるのですが、アラビア語を理解できないという悲劇が待ちかまえていたのです。
てことで、それから1週間リハビリをしてなんとか生きてます。
あとアラビア語科の人々に一言。
アメリカ人はぼんくらではありません。彼らスゲーわ。
I know Americans are brilliant in languages, but you have to exceed them!
返信削除「別にそんなにアラビア語を死ぬほど勉強してるわけではない」toka, jibun ni iiwake shitenja neeeeee!
But I enjoyed reading your story round Dahab, remembering mine there, thanks.